阪神甲子園球場(写真:アフロ)

 残念ながら勝負にならなかった。31日に行われた第94回選抜高等学校野球大会(甲子園)の決勝戦で大阪桐蔭が近江(滋賀)を18-1で下し、春夏通じて9度目の全国制覇を達成。今大会で通算11本塁打を放ち、清原和博、桑田真澄を擁した1984年のPL学園の大会記録を塗り替えた大阪桐蔭の超強力打線は最後の最後まで確かに際立っていた。

 しかし勝負の明暗を分けたのは、やはり近江のエース・山田陽翔(3年)が左足の負傷を押して先発マウンドに立ったことであろう。

前日も延長11回170球を投げぬく

 前日の準決勝で浦和学院(埼玉)に5回の打席で左足かかとに死球を受けて悶絶しながらも降板せず、足を引きずって延長11回を170球完投。「左足関節外果部の打撲症」と診断されていたものの、この日は自ら直訴して初戦から5試合連続で先発した。

 初回から毎イニング失点を重ねた山田は3回に入って先頭に死球、そして次の打者に2ランを浴びるとマウンドから両手で「×マーク」を作り、ベンチに向かって交代を申し出た。高校野球では異例のシーンだ。これには甲子園のスタンドも大きくどよめいた。

 試合後に自身が「真っ直ぐにうまく力が入らなかった」と振り返ったように、この時点でもはや山田の左足の痛みは限界に達していたようだ。山田の降板後も大阪桐蔭に怒とうの攻撃を容赦なく浴びせられた近江は16安打18失点。結果として万全でない中でのエースの強行先発が裏目に出て、立ち上がりから大阪桐蔭の強力打線を勢い付かせるハメになってしまった感はどうしても否めない。

 近江の多賀章仁監督は試合後、前日負傷していた山田の先発起用について問われ「彼の今後、将来を見た時に(先発)させたのは間違いだった」と述べた。

 決勝戦での先発を「(左足を)固定すればできます」と強硬に直訴した山田の気持ちを汲み、マウンドへと送り出したが「回避すべきだったと今思っています」と沈痛の面持ちを浮かべ、指揮官として自らの決断を責めていた。