35年前の1987年3月に発売されたアサヒビールの「スーパードライ」といえば、産業史に残る“下剋上劇”を生んだ商品として語り継がれてきた。それまで業界最下位の攻防に甘んじていたアサヒは、スーパードライを投入して以降一気にシェアを上げ続け、長年王者の座にあったキリンビールを抜き去ったことは広く知られている。
そのスーパードライが今春、36年目にして初めてフルリニューアルを受けて生まれ変わった。ただ、メガブランドだけに味やパッケージデザインを変えるには勇気が要る。浮動票を捕まえるチャンスが生まれる一方、それまでの固定票が離れるリスクもあるからだ。他業界でも、大ヒットしたクルマのフルモデルチェンジが保守的なキープコンセプトになることはよくあるが、スーパードライの場合はどうだったのか。
この難しいフルリニューアルを取り仕切ったのが、同社の専務取締役マーケティング本部長である松山一雄氏だ。松山氏は、多くの敏腕マーケターを輩出したP&Gジャパンでの在籍経験があり、サトーホールディングスでは社長も務めた、日本を代表するマーケターの一人でもある同氏に、スーパードライの現在地や、このタイミングでフルリニューアルに至った経緯、今後の展開などを聞いた。(聞き手/河野圭祐:経済ジャーナリスト)
販売数量・購入者数ともに減り続けていた「スーパードライ」
――スーパードライは、遡ると発売3年目の1989年には販売数量が大台の1億ケース(1ケースは大瓶換算で20本)を超え、その後も、ピーク時には2億ケースを売るお化け商品に成長しています。ですが1990年代に発泡酒、2000年代には第3のビールが登場し、低価格を武器に狭義のビールジャンルをジワジワと侵食していきました。
松山一雄氏(以下敬称略):レモンサワーやハイボール缶などのRTD(レディ・トゥ・ドリンク)商品も含めてお客様のニーズが多様化し、その流出元として、ビールで最もボリュームの大きいスーパードライが一番大きな影響を受けたのは事実です。また、この20年あまりは、発泡酒や新ジャンル(=第3のビール)も積み上げた、いわゆるビール類トータルで見ても販売数量が下がり続けてきたのです。
――そして追い討ちをかけるように、この2年はコロナ禍で飲食店向けのビール需要が蒸発してしまいましたが、昨年のスーパードライの販売量はどのくらいでしたか?
松山:昨年は6082万ケースでした。ただ、コロナ禍の影響が大きかったにせよ、販売数量が6000万ケースといった規模感になっているということは、時代の流れに対応し切れていない部分がスーパードライにあるはず。そうした仮説や問題意識は私が入社した2018年9月直後からありました。社内で「このままでは、中長期的にブランドが上がっていくシナリオは描けないんじゃないか」という認識が強まり、実際、私も販売データなどを見ながら、「今後、大きな岐路に立つな」という印象を持ったのです。
――確かに、昨年以前も2017年が9794万ケース、2018年は9085万ケースとスーパードライの販売量は落ち続けていました。そこで何とかしなければいけないということで、アサヒでは32年ぶりとなる外部からの取締役として、松山さんが招聘されたわけですが。
松山:私はマーケティングの人間なので、販売数量そのものよりも、むしろスーパードライの購入者数がここ10年ほど、ずっと減ってきていることが一番気になっていました。同時に、スーパードライの圧倒的な味の優位性がなくなってきているという議論も、私がアサヒ入りした前後から始まっています。ブランドのコアである味の優位性の部分とお客様のユーザーベースが、両方シュリンクし続けていたわけです。