茨城県坂東市の平将門像

(乃至 政彦:歴史家)

 鋭い視点と丁寧な考察で話題を呼んだJBpressでの連載をまとめた書籍『謙信越山』。著者の歴史家、乃至政彦氏が大人気漫画『鬼滅の刃』を読み解くシリーズ第5弾は、「鬼舞辻無惨の千年史:十二鬼月のホーリーネーム」に続き、無惨の誕生秘話を探る。(JBpress)

※記事中『鬼滅の刃』のネタバレを含みます。閲覧にはご注意ください。

歴史家が考える鬼滅の刃④-1 十二鬼月のホーリーネーム(前編)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68405
歴史家が考える鬼滅の刃④-2 十二鬼月のホーリーネーム(後編)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/68519

鬼舞辻無惨の誕生

 鬼舞辻無惨は平安時代の生まれである。

 作中世界は大正年間の時代なので、西暦にすると1912〜26年である。第11話で鱗滝左近次が、無惨のことを「今から千年以上前」に「一番始めに鬼になった者」と説明していることから、無惨が鬼になったのは912〜26年よりいくらか昔のことと推定される(第11話)。もしキッカリ1000年前のことなら、左近次も「ちょうど千年前」と言うはずなのなので、もう数年ズレる計算となる。

 ところでこの「千年以上前」を、ある歴史人物が生まれた時代ではないかと見る人もいるらしい。また作品の舞台にその人物の関連史跡との繋がりがあるらしいことから、無惨の前歴と重なるのではないかとする説もある。

 その人物とは平将門──。わたしが3年前の単著『平将門と天慶の乱』(講談社現代新書)で主役格に置いた人物である。今回はその是非をここで論じていくことにしよう。