「EV開発は大きな賭けだった」

 私は3年前に、深圳のBYD本社を訪れ、王CEOと、その側近でエンジニア出身の丁海苗副社長を取材した。彼らは、いまから約20年前の日本にまつわる興味深いエピソードを話してくれた。

「当時、バッテリー電池を作っていた私たちは、自動車産業への進出をもくろんでいた。その際、行ったのが、ダイハツのシャーリーを解体して、自動車の構造を徹底的に研究することだった。日本車は、深く内部構造を理解すればするほど、その精巧さに感銘を受けたものだ。

 2003年、われわれは重要な決断をした。それは、このまま自動車の開発を続けていても、永遠に日米欧のメーカーにはかなわない。それよりも、わが社の得意分野は電池なので、電池を動力にして走るEVを開発することにしたのだ。

 これは大きな賭けだった。もしも将来にわたって、ガソリン車の時代が継続していくなら、私たちは敗北者だ。しかし、EVが主流となる時代が到来した暁には、BYDは世界の先駆者になれる。その時は、もしかしたらトヨタの方が、コダックになるかもしれない」

 コダックは、世界最大のカメラフィルムの会社だったが、今世紀に入りデジタルカメラの時代が到来し、淘汰されてしまった。そのデジタルカメラでさえ、いまやスマートフォンの出現によって淘汰されつつある。

 この時のBYD最高幹部へのインタビューで、「トヨタ」という名前は、もう一回出てきた。

「EVを世に問うていった時のわれわれの心境は、1965年のトヨタと同じだった。当時のトヨタは、自分たちは果たしてアメリカ市場で通用するのかという不安を抱えたまま、乗り込んで行った。実際、アメリカ人は当初、日本の自動車メーカーに疑心暗鬼だったが、やがて受け入れた。同様に、わが社のEVも、やがて日本を含めた世界が受け入れてくれると信じている」