大きく下流側に曲がった橋桁が、当時の激流の勢いを物語る

 大杭橋の架かる場所は、千曲川が南北にまっすぐ流れ、急なカーブもなく急峻な山間にあるわけでもない。河川の増水による水害は、様々な要因があることは承知しているが、なぜ橋脚ごと橋桁がごっそり流されてしまったのだろうか。

 次の写真は、上流側(南側)から大杭橋を撮影したものだ。黄線が流された橋桁と橋脚、赤線が残った部分である。また橋だけでなく、橋の手前(上流側)の左岸の護岸の一部も削り取られるように崩れ(写真撮影時点では修復済み)、川の左側の水流が強かったことがうかがえる。

大杭橋の流出した部分(黄線)と残った部分(赤線)

 上空から見た川は次のようになっている。

 大杭橋のすぐ上流(画像の下側)で右岸が川のほうにせり出しているのがわかるだろうか。川底の状況まではわからないが、大量の濁流がここで左方向に加速し、左岸を削る力を増したのではないかと推測できる。さらに大杭橋の左岸側の3つの橋脚(パイルベント式橋脚)は、右岸側で残っている橋脚(コンクリート製)とは異なることもあり、左側に強くかかる水圧に耐え切れなかったのかもしれない。