実はいち早くデジタル化を進めたが…

 コダックが100億ドルの売上を計上した1981年、ソニーはテレビ画面上に画像を表示するフィルムレスの電子スチルビデオカメラ「マビカ」を発表しました。この商品を皮切りに、市場の関心はデジタル化に向いていきます。

 とはいっても、コダックはデジタル技術に遅れていたわけではありません。実はコダックは、ソニーよりも前に世界最初のデジタルカメラの試作機を作った会社でもありました。それはなんと1975年のことです。デジタルカメラの普及版となるカシオ計算機の「QV-10」が世に出たのが1995年のことですから、それより20年も前にコダックはデジタル化の流れに気づき、そして開発投資を行っていたのです。

コダックのデジタルカメラEasyShare C340(2005年国内発売、写真:AP/アフロ)

 しかし、コダックは、それと同時並行で「フォトCD」というデジタル写真の保存用製品を商品化します。コダックは、写真ビジネスは「撮影」だけで儲けるのではなく、その後工程の「現像」「印刷」に大いなる利潤があることを長年の歴史を通じて知っていました。デジタル化の時代になったとしても、ビジネスモデル全体を押さえなければ、今まで通りの売上や利益を確保できない。そう考えて撮影だけにとどまらない技術開発を行ったのです。

 しかし、コダックはその後、悲劇的な結末を迎えます。結果的に、デジタルカメラにおいては1990年代後半には多くのプレイヤーが参入し、コダックは競争力を失います。そしてデジタルデータの記録媒体は独自の進化を遂げ、フォトCDの定着には至りませんでした。

 さらに既存事業であるフィルムも、残存利益の確保において富士フイルムの価格攻勢に遭い、収益力を失ったまま、デジタルカメラの浸透によって完全に道を閉ざされます。

 そして2012年、コダックは連邦倒産法第11章を申請し、倒産に至ります。市場を創造し、130年もの歴史を持つグローバル大企業にしては、何ともあっけない倒産劇でした。

身に付いた成功の形を変えられなかった

 コダックは創業以来、前述の通り、「レーザーブレード戦略」で大成功を遂げました。つまり、上流の製品と下流のフィルムまでを一貫して手掛け、入口のハードルを低めながら全体で収益を上げる戦いによって成功していたのです。

 しかし、デジタル化の流れは、一般的にこのような「一貫した仕組み」を分断し、破壊します。ハードはハードで、ソフトはソフトで、切り離された戦いを成立させていくのです。こういうことを、専門用語ではビジネスの「アンバンドル化」と言います。