ちなみに、コダックという名前が社名になるのは、創業後のことです。コダックという言葉そのものに特に何か意味があるわけではありません。後にジョージが語ったところによると、彼はKという文字に力強さを感じ、Kで始まりKで終わる組み合わせの中から、「KODAK」という言葉を生み出したとのことです。そして、1888年にはこのKODAKブランドを付けたカメラが売り出され、1892年には社名もイーストマン・コダックに変更されます。

 ジョージは写真というものはプロのためだけではなく、一般の家庭に浸透するべきだというビジョンを持っていました。面倒なカメラのプロセスをもっと簡単なものにして、「カメラを鉛筆並みの便利な道具に生まれ変わらせたい」という想いを胸に、彼はいち早くフィルムビジネスの未来を読み解き、ガラス製写真感光板の製法を確立します。そして、世界で初めてロールフィルム、後にカラーフィルム(1935年)を発売するのです。

 当初、フィルムというものがまだ存在しなかったため、コダックはその浸透に努めました。つまり、フィルムそのものの認知を高め、より多くの人に実際に使ってもらうことが大切だったのです。

 そのためには、技術への投資のみならず、営業やマーケティングへの投資も必要不可欠と判断したコダックは、大々的な宣伝への投資とフィルム販売店との関係強化に努めます。特に、「あなたはシャッターを押すだけ、あとは当社にお任せください」というキャッチフレーズの広告で市場に大きなインパクトを与え、フィルムカメラがどのようなものかわからない顧客に対する認知度を高めました。

フィルム市場を切り拓きナンバーワンに

 さらに、フィルムの浸透を図るために、価格面においては「レーザーブレード戦略」を採用しました。つまり、髭剃り本体を安くして替え刃で儲けるビジネスのように、カメラを低価格で売り、その後のフィルム販売で儲けるようにしたのです。

 これらの戦略は、実はマーケティングの教科書にある「4P」という基礎的なポイントをしっかり押さえていることがわかります。4Pとは、製品をちゃんと売るためには、Product(商品)、Price(価格)、Place(チャネル)、Promotion(販促)という4つのPの整合が重要である、という概念であり、コダックの当時の販売戦略は結果的にこの論点をしっかり押さえていたわけです。

 このように時代を見極めて正しい戦略を推進した結果、コダックはフィルムの市場拡大ともに、順調に成長していったのでした。1962年には、コダックの売上は10億ドルに達します。さらに同社は、一般消費者向けにとどまらず医療用画像やグラフィックアート向けにも領域を拡大しました。こうした製品のほとんどは、銀塩技術を使い、少しずつ改良を重ねたものでした。

 そして、コダックは、1976年にはアメリカ国内のフィルム市場の90%、カメラ市場の85%を占めるようになっていました。圧倒的ナンバーワンであり、コダックの技術的な強さと市場への展開スピードにより、有力な競合他社が現れることはありませんでした。そして、創業して100年が経とうとする1981年に、コダックの売上はとうとう100億ドルに達したのです。

コダック製品の代表例であるリバーサルフィルム「コダクローム」(写真:Newscom/アフロ)

 このようにフィルム市場を切り拓き、その市場の拡大とともに安定的に成長したコダックの100年の歴史でしたが、1980年代、市場に大きな変化が訪れます。デジタル化です。