申誠の脱北計画をなぞり脱北した私
私は、申誠が命をかけた経験と教訓をもとに、2009年、脱北に成功した。何日も徹夜で立てた脱北計画をなぞって準備した。テント、コンパス、ナイフ、牛乳とパン、地図、そして日本製の洋服とリュックサックを用意した。83年の申誠を再現した。
申誠の魂とともに歩んだ脱北だった。中国大陸横断鉄道で公安の厳しい検閲を受けた時も、熱帯のミャンマー監獄で虫にように過ごした時も、いつも申誠と一緒だったし、申誠が力を与えてくれた。私は現在、自由と人権を思う存分享受している。夢の中で彼の魂と共にいる。
もしあの世に法律があるなら彼は天国に行っただろう。彼は人殺しではないし、泥棒や強盗犯、麻薬犯でもない。真面目で聡明な日本人の子だった。自由を切望し、日本に住む恋人に会うために帰郷しようと試みた。ただそれだけの理由で、「政治犯」として殺されなければならない不遇な人生だった。
振り返ってみると、この40年、常に申誠の魂と共に生きていた。彼を思うと血が流れる思いで全身に痙攣が起きるし、胸に込み上げるものがある。雷のように叫びたくなる。
北送在日同胞だった日本人の話である。