(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
いや、関東地方では蒸し暑い日がつづいておりますね。
もう10年以上前から目にするようになった現象だが、夏になると、休日にリラックスした男たちの半ズボン姿が街中や旅先で目立つようになった。若い女性の短パン姿なら脚もきれいで好ましいのだが、男たちの毛脛をだした半ズボン姿はちょっとどうも、である。正直、見たくない。
半ズボンといえばアメリカ人である。かれらは半ズボン・サンダル姿で、海外のどこにでも出かける。それで我が物顔でホテルのロビーなどを闊歩している。ゴルフの海外中継を見れば、詰めかけたギャラリーはみんなで示し合わせたのかといいたくなるほど、全員半ズボンを穿いているのだ。アホちゃうか。個性的であることが推奨される社会のはずなのに、見事なまでに画一的で、もうこの恰好は夏の定番のようである。これはべつにアメリカ人独占ではなく、ヨーロッパも含む欧米人がそうなのか。
けれど日本人はアメリカ人でもないのに、いやもしかしたらタトゥーやあごひげ、ラップやヒップホップとおなじように影響を受けているのかもしれないが、いずれにせよ、若者からファミリーの若いパパ、中年の肥満型のおっさんからブルータスおまえもかというように同輩のじいさんまで半ズボンである。わたしの観測では6対4で半ズボン派がズボン派より優勢、すくなくともと5対5である。
わたしは小学校以来半ズボンを穿いていない。いまから65年ほど前の昭和30年代当時、小学生は夏になると強制的に半ズボンを穿かされたように記憶しているが、わたしはあれが死ぬほど嫌だった。子どものくせに、なんだこの情けない穿き物は、と思ったのである。早く冬がこないか、と思った。それ以来、半ズボンはみっともないもの、と脳に強烈に刷り込まれたのである。
なぜ半ズボンを穿くのか
それが、昨今の日本男児たちの半ズボン姿の隆盛である。まさか大人たちの半ズボン姿をかくも大量に見せられるとは思いもしなかった。かれらはいったいどういう了見で半ズボンを穿いているのか。風通しがよく涼しいからか。とくに股間あたりが蒸れなくて、気分がいいのか。戦後まもない頃の昔、縁台であっぱっぱみたいな服を着た太ったおばさんが足を開いて股座あたりをうちわでパタパタやっていたが、あれか。もっとも実際には見たことがなく、ドリフかなんかのコントで見ただけだが。