中学校や高校の授業で勉強したと思いますが、古代ギリシアでは自然科学が発展しました。ただ、そこには大きな限界がありました。というのも、その「科学」は思弁的、つまり経験によることなく純粋な論理的思考だけで物事の心理に到達しようとするものであって、こんにちの「科学」にとって必要不可欠な「観察」と「実験」という手法を欠いたものだったからです。
科学的成果とは、観察ないし実験をし、それにもとづいて理論を修正していくことにより獲得されます。人間がそうした科学的な真理を追究する態度を身に着けて最初に獲得した成果は「コペルニクスの地動説」でしょうか。
今回は、コペルニクスが登場するまでの道程、さらに彼がどのようにして地動説に至ったのかを振り返ってみたいと思います。
「再発見」されたアリストテレス
古代ギリシアの哲学者アリストテレス(前384年~前322年)は「諸学の父」と呼ばれ、いくつもの学問の祖となりました。しかし、その学問的水準の高さにも関わらず、ヨーロッパでは中世になるまでアリストテレスの存在は忘れ去られていました。
彼の学説が広く知られるようになるのは12世紀のことでした。
12世紀のスペインで、レコンキスタを進めていたキリスト教徒は、イスラーム世界で受け継がれていたギリシアの古典の数々を発見します。その中には、アリストテレスの著作もありました。その存在を忘れられていたアリストテレスがヨーロッパ人の前に再登場したのです。ギリシア語からアラビア語に翻訳されていたアリストテレスの著作は、さらにラテン語に翻訳され、ヨーロッパのキリスト教世界に浸透していきました。