話を聴くという行為は、この「話したい」という衝動と対をなすもので、心身の健康に対する重要性はまったく変わりません。

 人は、発信したいという思いと同じくらい、受け取りたいと切望しているものです。

 人の話を聞けないほど忙しいときや、携帯電話に見入っているとき、意見を言いたくて人の言葉をさえぎるとき、何かを決めつけるとき、私たちは、他の人が考えや感情を純粋に表現するのを拒んでいることになります。

 その結果、話をきちんと聴いたときより虚しく、空っぽに感じるでしょう。

 聴くことは、気づきを高めてくれます。感覚を研ぎ澄ませてもくれます。他の人の考えや感情に焦点を合わせられるようになると、世界はもっといきいきと感じられ、世界もあなたにもっといきいきと反応してくれるようになります。

 それは、世界や人が常に変化を遂げる中、自分が知っていることや真実だと思い込んでいるものから、一歩も踏み出すことなく過ごす人生です。安全に思えますが、実はただ息苦しいだけです。

他人を理解し自分を理解してもらうのに必要なこと

 真剣に聞いてくれる人に向かって声に出すときと、頭の中にあるとき、または140文字でつづるときとでは、同じ言葉でもまったく違う経験と価値になります。

 聞き手の反応は、話し手に影響します。ていねいに聞くと、会話がよりよいものになります。話し手が自分の言葉にもっと責任を持ち、発言に気をつけるようになるからです。

 優れた聞き手でいるとは、愚かな人にいつまでも我慢しなくてはいけないという意味ではありません。優れた聞き手でいるとむしろ、愚かな人を見わけやすくなり、愚かさに気づけるようになります。そしておそらくもっとも重要なのは、人の話に耳を傾ければ、あなた自身が愚かな人にならずにすむことです。

「聴くこと」は、学ぶことです。

 話を聴くことで、真実を言いあて、欺瞞を見つけ出せるようになれます。

 ペースが速く大忙しの風潮の中、聞くことは重荷だと思われています。でも、私たちが皆、人生でもっとも求めているのは、人を理解し自分を理解してもらうことです。

 これが唯一実現できるのは、急がず、じっくり「聴く」時間を意識的にとるときだけなのです。