長尾政景が亡くなったとされる候補地のひとつ、長野の野尻湖。写真/GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

(乃至 政彦:歴史家)

上杉景勝の実父であり、上杉謙信の姉婿でもあった越後の大領主・長尾政景。謙信の片腕に等しいこの人物の突然死は、複数の伝承が知られるが、もっとも有名なのは謙信の軍師格と伝わる宇佐美定満による暗殺説だろう。しかしこれは、実際の横死事件から100年以上もの時間が経ってから急に湧き出た話だった。上杉謙信の関東遠征の真相を描きたちまち重版となった話題の書籍『謙信越山』の著者、歴史家の乃至政彦氏が、謎多き「長尾政景溺死事件」の真相に迫る。(JBpress)

長尾政景溺死事件の真相(前編)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65743

長尾政景の突然死を再考する

 前回の記事(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65743)で、永禄7年(1564)7月5日に横死した長尾政景について、宇佐美定満が殺害したという説について、これが実は後世の作り話であることを述べた。補足すると、宇佐美家は政景死後も改易されることなく謙信の家臣として活動している。

 政景と定満は、全く別の年月日に亡くなったはずだが、宇佐美の子孫を自称する詐欺師が暗殺説を流布させた。こうして“政景の謀反を疑う謙信のため、定満が独断で政景を殺害した”という美談なのか愚行なのかよくわからない物語が有名になったのだ。

 では、謙信の片腕として現役バリバリだった政景が、なぜこの時期に38歳の若さで亡くなったのだろうか。今回はそれを追求してみたい。