希望と焦りが入り交じり、願いはとても言葉にならなかったが、ありったけの思いを込めて、フリーでパスを待つ2学年下の日向寺にボールを送った。
パスを受けた日向寺に日体大のディフェンダーが必死に迫っていたが、追いつける距離ではなかった。
残り12秒。
放たれたスリーポイントシュートの放物線。あのシーンは記憶に残っている。
立ち見客が出るほど満員に膨れ上がった代々木第二体育館の大声援が一瞬、静かになった。
残り11秒。
この日一番の歓声がコートを包んだ。自然と、両手を上げてガッツポーズをしていた。
スリーポイントシュートが決まったのだ。
66対65。
残り9秒。
バスケットボールにとって残り9秒の1点差は決してセーフティではない。むしろ、危険だ。一瞬でも気を抜けば、ひとつでも戦略を読み間違えれば……、立場は一気に逆転する。
諦めない日体大が、一気に前にボールを出してきた。受けた後藤正規(花の平成5年組入社のひとりだ)が半ば無理やりスリーポイントシュートを放った。
後藤は日体大のエースであり、その後も同じシューティングガードの選手としてしのぎを削り合うことになるライバルだ。
彼も必死の思いだっただろう。そのシュートに、日体大にとって4年連続10回目のインカレ優勝が懸かっていたのだから。
だが、不十分な体勢から放たれた一投はリングに弾はじかれた。
リバウンドを味方が制してくれた。
勝った──。
次の瞬間、試合終了を告げるブザーが鳴った。
気づくと、ベンチに向かって駆け出していた。雄叫たけびのような喜びの声を上げている仲間に、飛びついて抱きついた。中学でバスケットボールを始めてから、初めて日本で一番になれた瞬間。
収まらない大歓声。鳴りやまない拍手。注目されていることは感じていたが、それもどうでも良かった。
「日体大に勝てた」
わたしが沸き立つ理由はそれだけだった。
最後の最後で、チームとしても、一選手としても日体大を乗り越えることができた。
勝つことと、結果を残すこと──。
絶対に負けたままでは終わらない。
負けなければ、いつか日本一、優勝にはたどり着く。
日体大にようやく勝ったことは「目の前の相手」、特に、強い相手に絶対に負けないという思いを大いに強くさせた。
<次回「時代に翻弄されて〝お荷物チーム〟へ。不安、イライラ、決断」に続く>