金正日体制で始まった弾圧と粛正

 70年代初めに金正日が後継者に決まると、「党の唯一思想体系確立の10大原則」が発表された。北送在日同胞は「動揺階層」に分類され、大々的な監視や弾圧、粛清が起こる。

 恐怖に打ち震えた両親は、「日本のことを聞かれたら、蔑視と冷遇の中で生きてきた、北朝鮮での生活のほうがいい、どんなにバカにされても『知らない』と言え」と私に言った。これがわが家の「家訓」になった。

 金王朝という時代に、なぜ北送在日同胞が常に緊張を強いられてきたのか。党は自由民主主義を経験した北送在日同胞に「資本主義思想に染まった人」という烙印を押して監視した。北朝鮮の住民たちに比べると、確かに北送在日同胞は洗脳されていなかったし、党と首領に対する忠誠心も薄かった。忠誠心があるかのように演技していただけだった。

 このような根本的な理由により、北朝鮮住民と北送在日同胞が「つらい」「腹が減った」という同じ言葉を発しても評価は異なる。北送在日同胞は「不平」、北朝鮮住民は「真実」とされるのだ。北朝鮮の歴史と経済状況に慣れている住民と違い、自由民主主義社会で暮らしてきた北送在日同胞は厳しい生活になかなか溶け込めなかった。

 北送在日同胞は北朝鮮に住んでいた間中、心配と不安で押しつぶされそうな毎日を送っていた。少しの隙もない監視と弾圧、いつ政治犯収容所行きになるかも分からず、今日も明日も食べることができるのか、心配だった。北送在日同胞は「心配の人生」を生きたと言いたい。監視と独裁弾圧の恐怖によりすべてが不満だった。自由で幸せだった日本の生活が対照を成し、記憶から消えない。

 私は北朝鮮で人民学校(日本の小学校)、中学校、高校を卒業した。その後、「朝鮮人民軍」に入隊する過程で、北朝鮮の社会主義・共産主義の人間になっていなければならなかった。