(写真はイメージです/写真AC)

(吉田 典史:ジャーナリスト)

 2011年3月11日の東日本大震災と昨年(2020年)から続く新型コロナウィルス感染拡大。その最前線で危険にさらされながら奮闘するのが、医師や看護師だ。

 今回は、10年前の震災時に夫(当時51歳)、娘(22歳)、息子(20歳)を津波で亡くした遺族・尾形妙子さんに取材を試みた。

 震災発生時に、尾形さんは仙石病院(宮城県東松島市)に看護部長として看護職に就いていた。3人の家族を失いながらも、病院に泊まり込み、入院患者や家族、死に至る患者や遺族への対応を続けた。筆者はその頃に仙石病院内で尾形さんにインタビュー取材をした。

 その後、尾形さんは2017年から、全国の看護職約20万人が加入する日本看護連盟(東京都渋谷区)の常任幹事を務める。1959年に設立された日本看護連盟は、日本看護協会の掲げる理念と政策を実現するために政治への働きかけを行う団体である。

 現在のコロナウィルス拡大のもと、看護師の置かれている状況を中心に伺った。

尾形妙子さん
京都第一赤十字病院勤務(心臓外科、胸部外科病棟)を経て、医療法人正信会ほうゆう病院勤務(消化器外科、内科、手術室)病棟看護係長。宮城県へ転居後、1992年より東松島市の医療法人社団仙石病院勤務(泌尿器科、脳神経外科、内科、血液透析室、外来)主任、病棟師長、外来師長を歴任後、2006年より看護部長就任。2016年12月、同病院を退職し、2017年1月より現職。