慰安婦になるために必要だった幾重もの本人確認

 ラムザイヤー教授批判の先頭に立ち、韓国で有名になった米コネチカット大学歴史学科のアレクシス・ダデン(Alexis Bray Dudden)教授は、「主張を裏付ける書類がないのなら、そして証拠がないなら、その主張は真実ではありません」とテレビで述べた。そして、「無惨で」「典型的な」「詐欺」という単語を使った。元慰安婦たちの「証言」はダデン教授の基準をクリアできたのだろうか。

 日本の官憲による「強制連行」でなかったとしたら、女性たちはどんなきっかけや経路で日本軍慰安婦になったのだろうか。朝鮮人斡旋業者が「いい仕事を紹介してやる」と言い(就職詐欺)、慰安婦として働くことを知らせずに女性を連れていったり、親をだまして売らせたりしたケースがあった。この場合、慰安婦の雇用契約は不要となり、前借金が支払われないか、最初から慰安婦として連れていく場合よりも小額が払われた。朝鮮において就職詐欺を含む誘拐は、戦前から警察の取り締まり対象になっていた。当時、朝鮮では数千人もの職業斡旋業者が横行していたのだ。

 朝鮮から慰安所に女性を連れていくには、さまざまな公的書類が必要だった。中国や東南アジアなどへ行く旅行者は全員、旅行の目的などを記入した書類を提出し、警察署長の発給する「身元証明書」を取らなければならなかった。慰安婦の場合の手続きはさらに厳しかった。

 女性と慰安所業者が共に作成する申請書といえる「臨時酌婦営業許可願」、写真2枚、世帯主と女性本人が捺印した就業承諾書、世帯主と女性本人の印鑑証明書、女性の戸籍謄本(就業承諾書、印鑑証明書、戸籍謄本は本人でなければ作成・発給してもらえない)が必要であり、日本領事館の職員も慰安所就業の意思があるかどうか、女性に対して調査を行った。女性を就職詐欺で連れてきたり拉致してきたりしたのなら、このような書類は用意できなかったはずだ(『反日種族主義』の著者、李栄薫教授が主催する「李承晩学堂」のユーチューブで朱益鐘氏が上記を主張している)。

 本人の意思で慰安所に来ていない場合は、女性が着いてからも問題になった。慰安所の利用と管理を担当する部隊は、慰安婦本人がどんな仕事をするのか知っていて来たのかを確認した。前述のような書類を軍部隊で確認する手続きがあったため、だまされて連れてこられた女性を故郷に送り返したケースもある。

 以上から見ると、誘拐による慰安婦調達よりも、何をするのか知りながら親が娘を売る人身売買のケースのほうがはるかに多かったといえる。当時の新聞を見ると、親が娘を売ることなどざらにあり、社会問題の一つになるほどだった。1920年代半ば、日本でも同様の状況が起こった。日本の二・二六事件(1926年)でも、娘を売らなければならないほど貧しかったことが、事件を触発する重要なきっかけの一つとなっている。