反日路線を貫く文在寅大統領(写真:YONHAP NEWS/アフロ)

(金 完燮:作家、評論家)

「慰安婦狩り」に関する本を日本で出した吉田清治氏も、韓国教会女性連合会主催の国際妓生(キーセン)観光セミナーを通じて慰安婦工作を開始した尹貞玉(ユン・ジョンオク)氏も、当時は想像すらしなかっただろう。単なる心理戦で始めた慰安婦工作が、世界的にこれほどの成功を収めるとは。

 慰安婦工作は、北朝鮮によって用意周到に、そして長期にわたって準備されてきたと思われる。

 まず動いたのは左翼系出版社「三一書房」だった。1978年に千田夏光氏の『従軍慰安婦 正編』を出版するが、この本が恣意的な創作などとして非難を浴び、失敗に終わる。すると、今度は吉田清治氏の『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』を1983年に出版する。

 一方、韓国においては1980年頃、当時梨花(イファ)女子大学英文科教授だった尹貞玉氏に対し東南アジア地域の現地調査を行うよう、北朝鮮が指令を下したものと思われる。現在、私は北朝鮮による慰安婦工作を明らかにするため、韓国の検察に尹貞玉氏の捜査を依頼している。

1987年に慰安婦問題を提起した尹貞玉氏。2003年当時の写真(写真:Yonhap/アフロ)

 北朝鮮のスパイと思われる尹貞玉氏は、1980年からおよそ100回にわたって韓国を出国し、東南アジアの日本軍進出地域を隅々まで踏査した。追って発生する予定の、数多くのニセ慰安婦の経験談を、現実味のあるストーリーとして作り上げるための事前作業だった。

 このような準備期間を経て、ついに1987年、慰安婦工作が本格的にスタートする。冒頭に書いた国際妓生観光セミナーで、植民地時代の挺身隊(日本軍慰安婦)問題に関する講演を行ったのだ。国際妓生観光セミナーは、当時社会問題になっていた日本人の韓国人現地妻や妓生観光の問題を論じる会合である。その中で、全く関係のない日本植民地時代の挺身隊の話が出てきたのだ。

 会合のテーマと全く不釣り合いな発表内容は、その底意の感じられるものだったが、当時としては非常に斬新で衝撃的な内容だったため、誰も異議を唱えることをせず、会合は尹貞玉の思惑どおりに進んでいった。このような突拍子もない発表をした尹貞玉自身も、これが通じるかどうか、半信半疑だったのではなかろうか。

 こんな妙な形で始まった慰安婦工作だが、1990年に「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が発足し、1991年には北朝鮮工作員と疑われる第1号慰安婦、金学順(キム・ハクスン)が登場したことで、成功街道を進むことになる。