政治的に「汚染」された被害者の証言
彼女たちがカミングアウトした1990年代初めの証言は「強制連行」と無関係だった。朝鮮人による就職詐欺や親に売られて慰安婦になったと証言しているのだ。ところが、慰安婦問題が韓国の社会的・政治的問題になり、韓日間の外交問題に発展すると言葉を変え、「強制連行」と言い出した。「証言」が政治的に汚染されたわけだ。その一例を挙げてみよう。
現在、国の元老のような待遇を受け、自身を独立運動家でもあるかのように振る舞っている元慰安婦の李容洙氏は、1992年8月15日、KBS(韓国放送公社)の番組に出演した。司会者がどのようにして慰安婦になったかを質問すると、彼女は次のように答えた。
「私はその時16歳で、着られる服もろくにないほど貧しかったのですが、ある人がワンピース1着と靴1足を持ってきてくれました。それをもらった私はうれしくて、何も知らずに付いていきました」

朝鮮人が犯した典型的な誘拐事件を指している。ところが、そんな李容洙氏が2007年2月16日、米国下院議会の公聴会に証人として出席した時の証言は変わっていた。彼女は次のように「証言」し、米下院が日本を非難する決議案を採択するのに大きく貢献したのである。
「軍人がその女性と一緒に入ってきて、片手で私の肩を抱き、もう片方の手で口をふさぎ、後ろから背中を何かでつつきながら、私を連れ去りました。(私は)歴史の生き証人です」
元慰安婦の「証言」の一番の問題は、このように一貫性がないということだ。
さらに重要な問題は、証言を立証する客観的証拠が何一つないことである。日本の官憲による「強制連行」を示す公的文書は見つかっておらず、民間人を含めてそうした事件を目撃した第三者が残した記録もないし、そのような証言も出てこない。強制連行論者らは「20万人」が無理やり連行されたと主張しているが、この30年間、それを立証する証拠を一つも提示していない。よって、彼女たちの「証言」は信じるに値しないと言わざるを得ない。