三国志の武将を祀っている中国・河北省の三義宮(出所:Wikipedia

(花園 祐:上海在住ジャーナリスト)

 中国の歴史書『三国志』は、日本でも長年にわたり多くの世代に親しまれています。『三国志』が題材に取る魏(ぎ)・蜀(しょく)・呉(ご)の三国時代(広義では184~280年)は長い中国史の中でもとりわけ人気が高く、三国志から中国に興味を抱くようになった人も少なくないでしょう。筆者もその一人です。

『三国志』には数多くの名将・智将が登場しますが、このうち1、2の人気を争う人物として、後半の主役とも言える諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい、181~234年、以下「諸葛亮」)の名が挙げられるでしょう。

『三国志』は3世紀に書かれた国家の“正史”ですが、その後、明の時代に小説の形で『三国志演義』が書かれました(日本では一般的に『三国志演義』のほうを「三国志」と呼んでいます)。この『三国志演義』の中で、諸葛亮は物語中盤から登場します。神算鬼謀ともいうべき智力を生かして敵軍を翻弄する諸葛亮の活躍ぶりに、多くの読者が胸を躍らされたことと思います。

 ただ実際の歴史における諸葛亮については、古来より「将来を見通す力は抜群だけれども、軍隊の指揮は下手だったのではないか?」との指摘が絶えず、三国志マニアの間でも大きな議論の種となっています。

 そこで今回はこの議論に加わる形で、諸葛亮の軍事的才能について考察してみたいと思います(あくまでも筆者独自の考察ですので、ご了承ください)。

明代の『三才図会』に描かれた諸葛亮の絵(出所:Wikipedia