◎日本の未来を見据えていた12人(第11回)「足利義教」
(倉山 満:憲政史研究者)
誰もが、現状を受け容れるしかないと、諦めている時代。己の力で、天下を正した人物がいた。
あらゆる強敵と戦い全戦全勝、瞬く間に世の中を平らげた。そして非業の最期を遂げた。
怜悧で意志の強かったこの人物は、戦いを決意した時、畳の上で死ねないと覚悟しただろう。しかし、未来の為に戦い続けた。
足利義教(あしかが・よしのり)である。
室町幕府第6代将軍。くじ引きで将軍に選ばれ、生前から「万人恐怖」「薄氷を踏む」と恐れられ、「悪御所」と陰口を叩かれた。そして暗殺された後は「公方犬死」と酷評された。
義教の死から26年後、室町将軍の権威は応仁の乱により失墜。義教の暗殺が幕府の崩壊の遠因であると評価されてきた。義教の死が1441年、室町幕府の崩壊は1573年とされる。
だが、一つの事実にも、様々な尺度があるはずだ。確かに、義教の暗殺は将軍権威の失墜に他ならない。ではなぜ、その後の室町幕府は130年以上も命脈を長らえたのか。
義教の遺産である。生前の義教が構築した室町幕府の機構は、多くの風雨に耐え残存し続けた。現在の通説では、室町将軍の権威失墜と事実上の戦国時代の始まりは、1493年の明応の政変だとされる。この時、下克上により将軍は廃位され、親衛隊たる奉公衆は解体された。ただしその後も、官僚機構である奉行衆は残存し、細川・大内・三好・松永・織田といった将軍をも凌駕する歴代権力者も統治を彼らに依存せざるを得なかった。奉公衆も奉行衆も事実上は義教が構築した組織である。言ってしまえば、室町幕府は義教のおかげで戦国時代にも生き残れたのだ。
そして義教が将軍になる前の時代は、どんな時代だったか。