これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)
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平成7~10年:48~51歳
恭平は23歳10カ月になる年の3月に、学生結婚した。
そして、その年の11月、父親がダイナーウイングの前身、ひろしま食品を創業。つまり、会社が創立25周年を迎える年の春、恭平夫婦は銀婚式を迎えた。
「幸せにできるかどうか判らないけど、絶対に退屈はさせない!」
馬鹿正直とも無責任とも言えるプロポーズの言葉を信じて、恭平と人生を共にすることを決意した妻の淳子に、恭平は心から感謝している。
「今日の恭平が在るのは、ひとえに奥さんである淳子さんのお陰だ」
耳にタコができるほど聞かされた、親しい友人たちからの常套句を、恭平は否定しない。言われるまでもなく、その通りだと認識したうえで、内心はこう考えている。
「今日の俺が在るのは、確かに妻のお陰だ。だが、その妻が今日在るのは、間違いなく俺のお陰だ。即ち、妻を称賛することは、俺を讃えていることに他ならない!」
その屈折した感謝の想いを伝えたくて、海外旅行を思い立った恭平だったが、第三工場の建設を控えた今は限られた時間しかなく、淳子に提案したのはハワイ旅行だった。
「ハワイなんかに、何しに行くの…」
2年前に家族で行ったイタリアとフランスをすっかり気に入って、再訪を望んでいた淳子の反応は素っ気ないモノだった。
その窮状に救いの手を差し伸べたのは、鞆の浦で珍味屋を営む賀茂盛也だった。