これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)

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平成5年3月:45歳10カ月

 少々長くて独り善がり。軽佻浮薄で自己顕示欲丸出し。その実、意外にシャイで真摯な、謝辞と誓詞。

錦帯橋工場竣工祝賀会で配布した挨拶状

 実は、今から4年と5カ月前、私共の本社工場竣工の折り、私は来賓の皆様をお立たせしたまま、25分間ものご挨拶を申し上げました。

 針小棒大。人の噂とは怖いモノで、今では1時間も喋ったと喧伝されております。

 そこで今回は、同じ轍を踏まぬよう、私も考えました。

 挨拶はあらかじめ文章にして配布しよう。そうすればスピーチは短くても多くの想いを伝えることができる。そのうえ繰り返し読んでもらうことだってできる。

 このアイデアは、甚く私を感動させました。

 早速、妻にその趣旨を話したところ、珍しくも「賛成!」。

 但し条件がありまして、「スピーチが殆ど聞かれていないように、文章にしたからといって読まれることを過度に期待しない方が良い。ビッシリ文字の詰まった年賀状だけで、好い加減辟易されているのだから、挨拶状も極力短く」とのご宣託。

 ここまで言われては、社長である前に家長としての立つ瀬がありません。

 私は次のように反論いたしました。

「何故、私が年賀状を型通りの挨拶で済ませないのか。何故、私が人前に立つと長口上になるのか。それは、私が自身の怠惰さや脆さ、未熟さを知っているからに他ならない」

「私に塵ほども責任が無ければ、おそらく寡黙でいられるだろう。しかし、私の責任が重くなればなるほど、私は多くを語らざるを得ないのだよ」

「つまり、毎年の2000枚を超える年賀状はその1年間の所信表明であり、竣工披露の挨拶に至っては、お世話になった方々への謝辞であり、誓詞である訳だ」

「だから私は、より多くの方に、より明確に約束をしたいと思っている。その約束は、私への大きなプレッシャーになると同時に、大きなエネルギー源にもなるんだよ」

 斯様な熱弁を奮ったところ、さすがに20年以上も連れ添って参りますと、扱いを心得ておられます。