これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)

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平成5~7年:46歳~48歳

 喉に刺さった小骨を吐き出すことも、飲み込むこともできていなかったと知ったのは、3か月後だった。山上市長の粘りに負けた恭平は、教育委員の委嘱を受けてしまった。

 教育委員に就任して間も無く、恭平は校長会での講演を依頼された。

 人前で話すのは嫌いではなかったが、相手が校長先生20人となれば、勝手が違った。

 小中学生時代の恭平は、月曜日の朝礼や秋の運動会、入学式や卒業式など、校長先生と対面するときはいつも、多数の生徒の一人として壇上を仰ぎ見て、話を聴くだけだった。

 その立場を逆転させ、恭平一人が校長先生20人と対峙して話を聞いてもらうことに、お尻がむず痒いような面映ゆさを感じていた。

 ロの字型に並んだ長デスクの一辺に恭平が座り、相対してコの字型に座った20人の校長全員が、もちろん恭平より年長だった。

 女性校長6人、男性校長14人のうち4人が白の綿ソックスを穿いていた。この事実を目の当たりにして、恭平はここが教育界の集まりであることを再認識した。

 およそ一般企業において、しかも管理職の立場にある者が、スーツを着て白い綿ソックスは穿かない。恭平は改めて学校現場の特殊性を感じ、感じたままを口にした。

 意外にも白ソックスの当人たちが頭を掻きながら失笑していることに、恭平は苦笑した。

 調子づいた恭平は、教育界、政界、金融界、実業界、相撲界、と言った一定の枠に嵌った「界」の常識は、えてして世間一般の常識とは異なるもの…などと、用意したレジュメから外れてしまった滑り出しは、軌道修正が難しく、迷走を続けた。

 白の綿ソックスはともかく、体育の授業でもないのに、教室でのジャージ姿は如何なものか。子供たちの服装には厳しい校則が課せられているのに、その子供たちを指導する先生方の服装がルーズ過ぎるように感じるのは、私だけでしょうか。

 先生方もご存じの宮が丘団地にある懐石料理「伊織」のご主人伊織さんは、夏でも白衣の下にワイシャツを着てネクタイを締め、厨房に立っておられます。二階がお住まいで、厨房を覗く人は誰もいませんから、短パンにTシャツだって好いんですよ。

 だのに、キチンと正装されている訳を訊いたら、次のようにお応えになりました。

「お客様は、どのようなご用向きで食事をされているのか分かりません。お祝い事や法事で来られているお客様に、私が好い加減な格好で料理を作る訳には参りません」