(池田 渓:ライター)
このほど刊行した拙著『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』(飛鳥新社)では、東京大学卒業生へのインタビューを通してある種の生きづらさを抱えて生きる高学歴の人々の姿を書いた。
本の反響は著者の予想以上に大きく、SNSのダイレクトメッセージで多くの読者から「では彼らはどうすべきだったのか?」あるいは「こうすればよかった」という質問や感想をいただいている。
「では、どうすれば彼らは生きやすくなれたのか」という点については、本書の最後でも触れたのだが、本記事では僕が本の取材を通して得た気づきを改めてみなさんに伝えてみようと思う。
問題は行動量の少なさ
せっかく日本では最上級の学びと研究の環境を与えられながら、それを後の人生に生かすことができなかったある種の人々。取材を通して彼らに共通して見られた傾向、それは「行動量の少なさ」である。「自分の特性とは合わない環境でがんばりすぎる」「いつまでも一つの手法にこだわり続ける」「考えすぎてしまって大きな仕事をやり通せない」etc.・・・。
なぜ、彼らの行動量は少ないのだろうか? それは、受験の勝者である彼らが「行動の結果、失敗すること」を極端に恐れるからだ。