遡ること2010-11シーズン。当時、折茂が所属していた「レラカムイ北海道」が、運営会社の経営不振によりリーグから除名処分を受けた。チームが消滅してしまったのだ。

 折しも、東日本大震災による不況と自粛ムードの真っただ中。新たなチームの引き受け手は見つからなかった。

 北海道のバスケットボールに対する熱量の高さ、そして道民たちの温かさを肌で感じていた折茂は、「この地からバスケットボールを絶やしてはならない」と前代未聞の決断をする。選手兼経営者となり、新チームの運営に乗り出したのだ。

 では何をしたのか。きめ細やかな戦略か。高い組織力か。――だが、折茂のスタイルはそうした視点から一線を画したものであった。

知らなかった名刺の渡し方

 それまでバスケットボール一筋で生きてきた人間。事業計画の立て方はおろか、名刺の渡し方すら知らない。ビジネスの世界は甘くない。会社を立ち上げてからしばらくして、折茂にとって“地獄”のような日々が始まる。

 難航するスポンサー探し。積み重なっていく債務。貯金を切り崩し、家族の口座にまで手を出して選手やスタッフの給料を払い続けた。最終的な借金は2億4000万円。会社は債務超過。不眠症に陥り、過呼吸まで経験した。

 だが、這い上がった。2019-20シーズンには4期連続の黒字を達成するまでになったのだ。

 その道を切り開いたのは、北海道、そしてバスケットボールに対する「思い」と「責任」だった。

「北海道にバスケットボールチームを残す」
「熱い声援を送ってくれたブースターに恩返しをする」

 ひたすらに「思い」を訴え、運営会社を株式会社に移行して自ら債務の保証人になるなど、行動で「責任」を示してきた。

 アナログであることこの上ない。しかし、その「思い」と「責任」は「信頼」を生んだ。多く地元企業がレバンガに協賛し、共に歩み始めたのだ。