人には当然、感情があり、そこに思いや信頼があるときに人は動く。
面白いもので、これはバスケットボールにも似ている。
わたしのバスケットボール、と言ったほうがいいかもしれない。
人並みだった選手としての能力
もう30年近く前のことになるが、日本のバスケットボール界には「花の平成5年入社組」と呼ばれた世代があった。
「日本最高のポイントガード」「Mr. バスケットボール」と言われた佐古賢一、正確なシュートとタフなディフェンスを武器とした後藤正規、「ダイナソー(恐竜)・サム」の異名を持った大型フォワード・阿部理、そしてわたし。中央大学の佐古、日本体育大学の後藤、慶應義塾大学の阿部、わたしは日本大学で、関東リーグは立ち見が出るほど多くの来場者があった。
実力のみならず個性的なメンバーが揃っていた。
この時代は年下にも有望な選手が多く、後にユニバーシアード(卒業後2年まで出場が可能な学生の世界大会)での準優勝、31年ぶりの世界選手権出場などを成し遂げたことから、「黄金世代」とも言われるようになった。
日本バスケットボール史の中で、もっとも〝世界〟に近づいた世代である。
そんな世代の中でわたしは、日本一の大学を決めるインカレで優勝し、MVPにも選ばれた。
決してわたしがもっとも優れていた、と言いたいのではない。むしろ、わたしがもっとも「突出したスキル」を持っていなかった。
謙遜ではない。
身長は190cm。一般的に見れば、だいぶ高いだろうが、バスケットボール界では平均的だ(例えば、2019年に行なわれたワールドカップの日本代表メンバーの平均身長は199cmだった)。速く走れるわけではない。人よりも高く飛べるわけでもない。ドリブルもパスも人並み。シュートの精度には少し自信があったが、スペシャルな能力など何ひとつなかった。
高校時代、初めて全国選抜の合宿に呼ばれたとき、周囲とのあまりの力の差にショックを受けたものだ。当時は体格や身体能力がモノを言うインサイドのポジションだったこともあり、まったく歯が立たなかった。