「おもしろい」ということが社会的価値になった。政治家たちが受け狙いで笑わせようとして失言して問題になり、俳優もおもしろいと思われたくて芸人にすりよる。芸人はいまや、ほとんど怖いものなしの状況である。

 一攫千金と女にもてることを夢見ているのか、漫才のコンクール「M-1グランプリ」の参加者がほぼ5000組いるという。いかにも供給過多である。仕込まれたかのように「お笑い第7世代」と称されて、芸人が次々と誕生する。その結果、やっているパフォーマンスと破格のギャラとが釣り合わない。お笑いというも愚か、ただの軽口と悪ふざけに堕しているものが多くなってくる。

おもしろくないのになぜ大御所

 まるでおもしろくないのに、いまだにテレビ界で大御所として君臨しているのがビートたけしである。やはりたけしはまだ視聴率が取れるのだろう。お笑い界のビッグ3はビートたけし、明石家さんま、タモリらしい。これに所ジョージを加えてビッグ4ともいうらしい。この4人がなぜビッグになったのかわからないが、日本の芸能界ではそういうことがある。内田裕也然り、和田アキ子然り。

 漫才のおもしろさからいえば、B&Bのほうがツービートよりもおもしろかったのである。ビートたけしはもともと「コマネチ」のジェスチャーと、「赤信号みんなで渡れば怖くない」だけである。しかしいまではビッグ4のなかで押しも押されもしない一番の大物である。

 芸人のなかでもインテリで、芸人の価値を高めた。数学の計算を解き、映画監督もやり、絵もうまく、エッセイも小説も書き、ピアノも弾く。しかも信じられないほどの高額所得者。タモリもインテリではあるが、多芸多才ということでいえばたけしは抜群である。

 わたしはたけしは好きでも嫌いでもない。かれの漫才をおもしろいと思ったことも、映画に感心したこともない。「その男、狂暴につき」や「キッズ・リターン」などはよかったが、「BROTHER」「龍三と七人の子分たち」は最悪だった。フランスで勲章をもらっても、ベネチアで賞をとってもだめなものはだめ。小説は読んだことがないが、ビートたけしの才能で一番すぐれているのは、週刊誌に連載して本になったエッセイだと思う。

 蛭子能収はたけしを芸能界で一番尊敬するといっている。蛭子にたいしても謙虚で偉ぶらず、ていねいで敬語を使ったというから、人間的にはいい男なのだろうと思う(たけしと蛭子は昭和22年生まれの同い年)。日本人がフランス料理やワインの蘊蓄を語るようになったとき、なに生意気をいってやがる、味噌汁とタクアンで育ってきたくせしやがって、というようなことをいったたけしはよかった。無理せず、素のままのたけしはいいのである。