こうした構図に、さらに大きな変化が訪れます。1866年に、南アフリカでダイヤモンドが発見されたことがそのきっかけになりました。

 実はこの頃には、インドやブラジルの鉱床では、ダイヤが枯渇してしまっていました。タイミングよく、南アフリカで莫大な量のダイヤモンドが産出されるようになったわけですが、その産出量は従来の流通量をはるかに上回っていたのです。その量は過剰とも言えるほどで、ダイヤモンド価格は値崩れを起こしていました。

 そこにイギリスの牧師の息子で、南アフリカで坑夫をしていた人物が現れます。後に南アフリカで政治家となるセシル・ローズです。

 ローズはダイヤモンドの価格を維持するため供給量を調節する必要性を痛感し、1880年、「デビアス合同鉱山株式会社」を設立します。

セシル・ローズ(Wikipediaより)

 ローズは、ロンドンのユダヤ系の財閥・ロスチャイルド家の融資を受け、アフリカのダイヤモンド鉱山を次々に買収。ダイヤの産出をデビアス社に集約することで価格統制を図ろうとします。その目論見は成功しました。1900年にはダイヤモンド原石の世界生産の90%を支配したと言われています。世界のダイヤモンド市場を牛耳ることになったセシル・ローズは巨万の富を築きます。

 同時に、ダイヤモンドの加工工業を支えたのは、この当時もやはりユダヤ人でした。現在でも、ユダヤ人はダイヤモンド加工の中心にいます。

 さて、世界のダイヤモンド産業の頂点に君臨したデビアス社ですが、セシル・ローズが亡くなった後、アフリカ大陸ではデビアス社の勢力が及ばない巨大鉱山が発見され、デビアス社の支配力は徐々に低下してしまいます。

 そうした中、金生産を手掛けるアングロアメリカン社がデビアス社の筆頭株主となります。そして1930年、デビアスの会長としての乗り込んできたのが、アングロアメリカン社の創業者アーネスト・オッペンハイマーです。