ところで、イタリアに関する死亡率は、おおよそ60%であったと推測されています。女性と子どもの方が、死亡率が高かったと言われています。イギリスやフランスの死亡率もこれと同じ程度ではなかったかと推測されています。ジェノヴァの人口は、6万人から2万4000人にまで低下したと考えられます。

 さらにまた推測されるのは、農村部よりも都市部の方が死亡率が高かったので、死亡率が60%という数値は、実際のパーセンテージよりも高いのではないかということです。まず第一に、都市の人口の方が計算しやすいということがあります。

 それ以外の理由として、都市に住む人々が都市から逃れ、農村に移動したことがあります。都市からいなくなった人がいたのですから、都市の人口そのものが減少します。彼らは、より空気がきれいで、人口密度が低い農村に移動し、黒死病から逃れようとしました。防疫学が発展していないこの当時、黒死病にならないための最良の方法が、農村への移動だったのです。

黒死病の影響

 ボッカッチョの『デカメロン』は、この黒死病の大流行によって生まれた作品です。この物語は、黒死病が猖獗を極めたフィレンツェから郊外に逃れた10人の男女が、退屈しのぎに披露した自分たちの恋愛談をまとめた、という体裁の作品です。実際に当時、黒死病から逃れるために、都市から郊外に逃れた人々が多数いました。ということは、同時にそうした人たちから郊外にペスト菌がもたらされたケースもあったに違いありません。

 黒死病の経験は、ヨーロッパの人々の精神に大きな影響を与えました。これ以降、封建社会の呪縛から解き放された人々が増加するようになったとされます。もちろん、世の中はまだまだ封建社会でしたが、黒死病は、新しい精神が生み出される契機となったのです。

 この疫病により、都市部でたくさんの人々が亡くなりました。40度もの高熱を発し、呼吸困難になり、数日間で死亡したのです。黒死病の猛威は、信心深い人にも、そうでない人にも同じように襲ったのです。この恐ろしい病から逃れるため、郊外に飛び出していく人もいましたが、真っ先に逃げ出した人の中には高位聖職者もいたようです。こうなると、人々の間で、キリスト教に対する信仰心が揺るぎだします。

 また、人口が大きく減少したため、労働者が少なくなり、労働者の賃金は上昇することになりました。人々を農奴として土地に縛り付けておくことはできず、自分の土地をもつ農民が出てくる基盤が形成されました。

 黒死病の大流行が終わると、精神的にも経済的にも、ヨーロッパは新しい世界となりました。ローマ教皇庁の権威は以前よりもずいぶん低くなります。人々は古い絆から取り放された世界で、新しい思想をもちはじめました。それは、ルネサンスを生み出し、やがて近代社会誕生へと至る道筋を切り開いたのです。