(譚 璐美:作家)
4月2日、アメリカの新型肺炎の感染者数がイタリア、中国を抜いて、世界最多の21万6722人、死者5137人に達した。なかでもニューヨーク市(マンハッタン)を含む、ニューヨーク州では感染者が8万4046人、死者1300人以上で、全米の約4割だ。南部ルイジアナ州、フロリダ州、中西部のミシガン州でも感染爆発が起こった。西部カリフォルニア州は刑務所での集団感染を阻止するため、州内の受刑者3500人を釈放する方針を決めた。
マンハッタンのセントラルパークに、マウントサイナイ病院の重篤患者を収容するための仮設テントが張られ、第一次世界大戦以来の野営病院が出現した。陸軍工兵隊と州兵が出動して、大型コンベンションセンターの「ジャビッツ・センター」にも2500床、その他の施設と合わせて4000床が急ピッチで準備されている。医療崩壊の危機に直面して、戦時態勢に入った。いくら言っても聞かない若者たちがたむろする公園には、入り口に鍵がかけられた。
ひと月前、いったい誰がこんな事態を予想しただろう。中国の武漢で発生した新型肺炎は地球の反対側の出来事で、文字通り“対岸の火事”だった。それが中国からアジア全体に感染し、さらに中国と親密なイタリアへ伝わり、瞬く間にヨーロッパ全土へ広まった。中国の国家戦略「一帯一路」のヨーロッパの入り口はイタリアで、海のシルクロードが新型肺炎の感染ルートになったのだ。
5番街がシャッター通りに
そのヨーロッパと最も距離が近いニューヨークは、大西洋に面したアメリカの「東の玄関」だ。JFK国際空港は日に1200回以上も航空機が発着し、「メルティング・ポット(人種のるつぼ)」と呼ばれる人口過密都市マンハッタンに、日々、滝のように旅行者を注ぎこむ。それなのに、アメリカは3月初旬まで水際作戦も実施せず、武漢からチャーター便で帰国させたアメリカ人を西岸のカリフォルニアに隔離して安心してきた。
ニューヨーク市近郊のウエストチェスター郡ニューロッシェル市で、2人の感染者が出たのは3月3日だった。ひとりはマンハッタンへ通勤するビジネスマンで、もうひとりは教会のミサに参加した弁護士だ。感染者はすぐに隔離され、子供が通う小中学校は休校になり、10日になると「封じ込め区域」に指定されて、州兵が出動して食料供給を担った。私が住む人口約1万3000人の小さな町とは距離にして約10キロ。どちらも所属するウエストチェスター郡の感染者数は、4月1日の時点で合計1万683人、死者は64人に達し、ニューヨーク市に次いで多く、感染は今も爆発的に広がっている。