しかし、翌年の春が始まった頃、イタリアのジェノヴァとヴェネツィアのガレー船(地中海で使われていた人力でオールを漕いで進む船)が、カッファを出航した時、悲劇が始まります。彼らが使用していたガレー船は、1347年初めにビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルで、すでにペスト菌をもつ齧歯類(あるいはその齧歯類に寄生していたダニ)を載せていたと考えられています。

 ヴェネツィアのガレー船は、クレタ島に到着し、ここに黒死病をもたらします。しかし、ヴェネツィア人がペストに気づいたのは1348年のことでした。

 一方、ジェノヴァの2隻のガレー船はシチリア島北東部にあるメッシアに到着します。さらに途中でサルデーニャ島とコルシカ島に立ち寄り、この二島に黒死病をもたらしました。

 ジェノヴァのガレー船は、1347年7月後半ジェノヴァに到着します。その途中で、マルセイユに立ち寄り、そこに黒死病をもたらしたようです。同年11月、他地域よりも早く黒死病の患者がこの都市で確認されています。

ペストの広がり

 黒死病の本格的な流行は、1348年から始まりました。【地図1】にあるように、ヨーロッパ各地に伝染していきます。ヨーロッパではすでに商業ネットワークが広がっていました。この時代のヨーロッパの商業ネットワークは、こんにちのそれと比較するとはるかに小さいのですが、感染症をヨーロッパの隅々にまで運ぶ程度には、十分発達していたのです。商業が発達するほど、病気も広まりやすくなるのです。

 ただし【地図1】をよく見ると、スカンディナヴィア半島やロシアの一部に黒死病が広まっていない地域があることは、ヨーロッパ内部で、まだ商業ネットワークに組み込まれていない地域があったことがうかがえます。

 14世紀には地中海においてはイタリア諸都市が、北ヨーロッパにおいてはハンザ同盟の諸都市が商業を発展させていました。そしてこの2つの商業圏がアルプスを越えて取引することで、ヨーロッパの経済圏が一体化していきました。この2つの商業圏の結びつきが無ければ、もしかしたら黒死病はクリミア半島の一部、あるいはクリミア半島とイタリア北部だけで済んだかも知れませんが、残念ながらヨーロッパ全体に災厄をもたらすことになってしまいました。

 このパンデミックは、商人が移動することで広がりました。黒死病の広がりに必要だった時間は、比較的な長かったことが、【地図1】から読み取れます。最初に黒死病が発生してから、7年をかけてヨーロッパ全土に広がっています。これは、当時の交通状況の現れです。

 流通網が発展すればするほど、感染症拡大の速度は速くなります。昨年12月に中国・武漢市で初めて感染者が確認された新型コロナウイルスは、今年の2月末には南極大陸を除く全大陸に拡散していますが、もちろんそれは現在の交通と物流のネットワークが発達し、ヒトとモノが激しく、スピーディに動いているからにほかなりません。