割礼が無くならない理由

 このように、残酷で、肉体的にも精神的にもダメージを与える女子割礼なのですが、 これを完全に撲滅するのは難しい、というのが現状です。

 その一つの理由は、「女性自身が割礼を望んでいるから」というものです。女性割礼を、男が女を傷つけるために考え出した陰謀だというのは正しくありません。

 前述のように、女性割礼はしばしば通過儀礼と結びつき、割礼をした後は無礼講でご馳走を振る舞われ、ちやほやされるという訳で、割礼を楽しみにしている少女もいるのです。シエラレオネで女子割礼を手がけたある女性は、「処女の割礼なくして、私たちは何を祝って歌い、踊ればよいのですか?」(内海夏子『ドキュメント 女子割礼』)と言っています。

 また、幼いころから割礼に憧れ、草むらで割礼ごっこをして遊ぶ少女もいます。中には、割礼を否定する両親に反発して、割礼してもらうために家出する少女まで存在します。彼女たちにとっては、割礼は大人の女性になるための証なのでしょう。それを否定する親は、自分が大人になることを妨害し、家に閉じ込めようとする悪人なのでしょう。

 そして、女子割礼の儀式を実行する人々のほとんどが女性なのです。シエラレオネのボンドー・ソサエティは完全に女性だけの秘密結社で、男が関与することは許されません。女性割礼に強く関わってくるのは母親などの親族の女性です。

 実際、陰部封鎖までされると、セックスするときの痛みは大変なものでしょう。しかし一方で、この痛みに喜びを覚える女性もいるのです。ここまでして私は夫に満足感を与えてあげているんだ、という優越感を感じるのです。

 ここまで来ると、もはや政治やフェミニズムの手が永遠に届くことがない、愛の神秘の領域でしょう。

女性器封鎖で処女になれる

 出産後に、自ら病院に赴き、ふたたび膣を縫い合わせてくれと頼む女性もスーダンには多くいます。縫い合わせて膣を小さくすると締まりがよくなり、夫が喜ぶというのです。一種の処女膜再生手術のようなものなのでしょう。

 女性器封鎖には、便利な側面もあります。スーダンなどでは、かりに女性がセックスをしてしまっても、ふたたび膣を縫い合わせれば処女だとみなされるのです。

 これは、思わず婚前交渉をしてしまったり、レイプされた女性にとっては、極めて有効なシステムと言えるかもしれません。こういう世界では、自由意志でやったはずの婚前交渉もまた罪と見なされるのですから。

 こういった事実に対して、「それは女子割礼というシステムを作った男に洗脳されているだけで、女はやはり被害者である」と主張する人もいるでしょう。

 しかし、こういう見方こそ、もっとも女性差別的です。女には自分の意思がなく、男に簡単に操られる存在だと言っているに等しいからです。そもそも、女子割礼は男が発したのだという証拠も別にありません。

 また、「女子割礼は男子割礼とは根本的に違う」という意見もあります。男子の割礼は男性器の包皮を切り取るだけで大して痛くなく、旧約聖書に男子割礼を命じる記述があるので、宗教的根拠もある、というのです。

 一方で、女子の割礼は多大な苦痛を強いる上に、宗教的な根拠も特に見当たらない、ということで女子割礼の正当性を疑問視します。こういう人々は「女子割礼」という言葉は使わずに「女性器切除」などと言いたがります。