鹿屋市輝北天球館(Wikipediaより)

 2019年4月まで全国で唯一、女性市議が存在しなかった鹿児島県垂水市。なぜ、いまだ根強く封建的な気風が残っているのか。その謎を解明するべく、現地を調査したルポルタージュ。全2回、前編。(JBpress)

(※)本稿は『地形の思想史』(原武史著、KADOKAWA)より一部抜粋・再編集したものです。

同じ日本のなかにまったく異なる世界がある

 民俗学者の柳田國男は、『婦人の友』1926(大正15)年1月号に掲載された「雪国の春」のなかで、こう述べている。

 白状をすれば自分なども、春永く冬暖かなる中国の海近くに生れて、このやや狭隘(きょうあい)な日本風に安心し切っていた一人である。本さえ読んでいれば次第次第に、国民としての経験は得られるように考えてみたこともあった。

 記憶の霧霞の中からちらちらと、見える昔は別世界であったが、そこには花と緑の葉が際限もなく連なって、雪国の村に住む人が気ぜわしなく、送り迎えた野山の色とは、ほとんど似も付かぬものであったことを、互いに比べてみる折を持たぬばかりに、永く知らずに過ぎていたのであった。7千万人の知識の中には、こういう例がまだ幾らもあろうと思う。(『柳田國男全集2』、ちくま文庫、1989年)

 柳田の言う「中国の海」は、瀬戸内海を指している。瀬戸内海に近い兵庫県の福崎で生まれ育った柳田は、同じ日本のなかに、自分の故郷とは気候も風土も全く異なる「雪国の村」があることを全くわかっていなかった。

 そればかりか「本さえ読んでいれば次第次第に、国民としての経験は得られるように考えてみたこともあった」ことを、一人の学者として痛烈に反省しているのだ。「7千万人」というのは、当時の日本の人口を意味している。日本の一部にしか当てはまらないはずの知識が、あたかも国民全体の「常識」になっているケースは、まだほかにもあるのではないか――柳田はこう警鐘を鳴らしている。