(写真はイメージです)

 花電車芸とは、女性器を使って芸をすることである。花電車(装飾された路面電車)は客を乗せないことから、男を乗せない芸者がそう呼ばれるようになった。現在、日本で花電車芸を披露している者は、十指にも満たないという。表の歴史には出ることのない色街の芸能史を取材し続けたルポライターが、その興亡をたどる。前編/全2回。(JBpress)

(※)本稿は『花電車芸人 色街を彩った女たち』(八木澤高明著、角川新書)より一部抜粋・再編集したものです。

温泉地とストリップ劇場

 日本の温泉地と売春は、つい最近まで切っても切れぬ関係があり、そうした空気の中で ストリップは演じられ、花電車が披露されてきた。

 私は『ストリップの帝王』という作品を上梓しているが、帝王と呼ばれた男が経営していた劇場は長野県の上山田温泉や上諏訪温泉にあった。

 それらのストリップ劇場は、団体旅行華やかなりし頃、観光バスで温泉地に乗りつけて、ひとっ風呂浴び、宴会を楽しんだ男たちが下駄の音を響かせながら乗り込んだ場所だった。

 温泉地にとって、ストリップ劇場は欠かせない娯楽だった。

 長野県上山田温泉に足を運んだ際、往時を知るホテルの従業員が昔話をしてくれた。「昔は九州からわざわざ観光バスで乗りつけてくるぐらい、ここは有名な場所だったんですよ。夜になれば通りは人だらけで、大げさに聞こえるかもしれませんが、夜中まで『カラン、カラン』と、下駄の音が鳴り響いて眠れなかったもんです。当時あったストリップ劇場も、押すな押すなの大盛況でしたよ。それに、売春も盛んでしてね。客の数が圧倒的に多くて、店に行っても女の子がいないものだから、女の子が客とやった後にホテルから出てくるところを捕まえて交渉するような猛者もいましたね」

 上山田温泉だけでなく、全国の温泉地にはストリップ劇場が存在していた。そして、ストリップが演じられたのは、熱海と同じく劇場だけではなかった。忘年会や新年会が行われる年末年始には、団体客の余興のため、各ホテルへの出張ストリップが行われていたという。

 ストリップ業界の用語で、そうした営業は内職をひっくり返し、職内と呼ばれていた。踊り子たちは劇場公演の合間にホテルを回った。その話をしてくれたのは、花電車芸人のファイヤーヨーコである。彼女は、上諏訪温泉にあった諏訪フランス座でよくステージを務めていたのだ。私も、諏訪フランス座で何度かヨーコを取材したことがあった。

「とにかく忙しかったんですよ。休んでいる暇がなかった。だけど景気がいい時代だったから、チップも1万円から渡してくれて、お座敷をひとつ回ればけっこうな稼ぎになったんですよ。年々景気も悪くなって、今じゃ温泉場の劇場に行くこともなくなっちゃったし、まったく夢のような話ですね」