2020年1月、「六代目山口組」と「神戸山口組」が「特定抗争指定暴力団」に指定された。神戸山口組とは、山口組の2次団体「山健組」組長を中心とした組長13名が2015年8月に六代目山口組を脱退して組織した団体である。その後、神戸山口組はさらに分裂し、現在は六代目山口組、神戸山口組、絆會の3団体が三つ巴の抗争を繰り広げている。山口組で長年顧問弁護士を務めた山之内幸夫氏が、団体分裂の経緯と抗争の行方を説明する。(JBpress)
(※)本稿は『山口組の平成史』(山之内幸夫著、ちくま新書)より一部抜粋・再編集したものです。
山健組内織田一派の“離脱”
2017(平成29)年4月30日、神戸山口組から織田若頭代行が山健組内の織田一派を引き連れて離脱するという、誰もが予期せぬ再分裂が起こった。
団体数にして三分の一近くが山健組を出たと言われる。新組織の名称は「任俠団体山口組」である(後に任侠山口組に変更。現・絆會)。こちらは新組織の知名度を高めるためか、マスコミ露出が最優先らしく、前代未聞の記者会見を開いて離脱と結成の経緯を語った。
概略の理由をあげると、金の取り方がエグい、井上組長の山健組贔屓がひどい、上が進言を一切聞かない、とのことで、神戸山口組が六代目山口組を出た時の主張と既視感がある。特に山健組の会費が高くてついていけなかったのが一番大きな理由なのだろう。
親分である井上組長への個人攻撃は神戸山口組が司組長をなじった時より強烈で、2回も記者会見を開いたうえ、神戸山口組の実態は「六代目以上の悪政」とブチ上げた。
完膚なきまでに否定された神戸側も怒髪天を衝き、平成29年9月、山健組の配下が織田代表を殺しに走るもボディガードに阻止され、ガード役の組員を殺害しただけで失敗に終わる。実行犯は逃走しているものの、爆弾を抱えたまま地下に潜伏中といってもよい状況である。
この間の経緯をみると井上組長に同情せざるをえない面もある。皆から担がれ神輿に乗ったのはいいものの、連合体ゆえ上命下服の強権発動ができず、「親分、親分」と口では言ってくれるものの、神輿の担ぎ手が動かない。神輿本人が足を生やして走っているようでは組織として成熟しない。