2016年時点で、日本は168億ドル(約1兆8200億円)を世界各国にODAとして供与しており、米国(351億ドル)、ドイツ(268億ドル)、英国(182億ドル)に次ぐ世界第4位のODA大国である。前述のとおり、エジプトに対しても巨額のDDAを供与しており、カイロのオペラハウスのように日本のODAが目立つ形で存在している。エジプト政府がODAを受け続けたいと思っていることは疑問の余地はない。そうした状況下、カイロ大学を卒業したと称している小池氏の言葉を否定して、波風を立てたいとは思わないだろう。
そして、カイロ大学は大学であると同時に、政府の意向を忠実に実行する国家機関なのである。
国家に統制された大学
歴史的に見て、カイロ大学を国家(すなわち軍)の完全なコントロール下に置いたのはナセル大統領である。これは軍部独裁政治に反対し、文民統制への移行やよりイスラム的な政府の樹立を主張するカイロ大学内のムスリム同胞団や教授・学生を排除するためだった。
1954年に学長、副学長が解任され、反ナセルとみなされた教授、教員は全員解雇され、事務職員は少しでも政府を批判すれば失職した。1962~63年にカイロ大学法学部で学んだサダム・フセイン元イラク大統領は「カイロ大学では政治的な意見を述べた学生や講師は、即、監獄に入れられた」と述べている(浅川芳裕著『“闘争と平和”の混沌 カイロ大学』)。
ナセルに続くサダト大統領時代(1970~81年)も、政府の親米・親イスラエル政策や戦争遂行への反対、イスラム原理主義、ナセル主義、左翼、リベラルな知識人、ワフド党(王政時代の民族主義政党で1953年に解散)の残党などを取り締まるため、大学内に秘密警察を送り込み、戦争反対のデモを行った学生数百人を逮捕したりした。