こうした腐敗と経済的疲弊に対する民衆の怒りが沸騰し、1977年1月、エジプト各地で暴動が発生、1981年9月、イスラム諸グループ、コプト教徒、野党勢力、知識人など1536人の逮捕という政府による大弾圧を経て、1981年10月6日、軍事パレード観覧中のサダト大統領が射殺されるという劇的な事件へとつながって行った。

 小池百合子氏が“卒業証書”を得たエジプトはこういう国で、「腐敗認識指数」105位という順位から見て、今も状況は大きく変わっていないと思われる。

ハーテム家と小池家の深く長い付き合い

 小池氏の父・勇二郎氏はハーテム氏のコネで事業をやろうと目論んでいたとカイロ大学の日本人卒業生の1人は指摘する。勇二郎氏は、中曽根康弘氏を知っており、(真偽のほどは別として)石原慎太郎氏などの有力政治家もよく知っていると吹聴していたので、ハーテム氏のほうも、勇二郎氏を日本との関係で利用したいと思っていたことは想像に難くない。

 現在カイロに住み、小池勇二郎氏をよく知る日本人男性は、1999年か2000年頃、当時埼玉県知事だった土屋義彦氏が娘の品子氏(現衆議院議員)や埼玉県職員など10名ほどの随員をともなってカイロを訪れた際に、市内にある「ディプロマティック・クラブ」で開かれた晩さん会で、小池勇二郎氏が「ハーテムとは旧知の仲なんだよ」と言い、ハーテム氏と親密に話をしているのを目撃し、それとは別の機会に2度ほどハーテム氏と会った際には、ハーテム氏が小池勇二郎氏に関して肯定的に話すのを聞いたという。

 ハーテム氏のほうも、ムバラク大統領になってからは政治の第一線を退いており、自分でビジネスをやるために勇二郎氏以外にも、様々な日本人に助力を依頼していた。前述のカイロ在住の日本人男性も、1998年か99年頃、ハーテム氏から直接電話を受け、話を聞きに行ったところ、電気製品か機械の日本での販売に関し、助力を依頼されたという。

 筆者は2018年9月にハーテム氏の息子であるターリク・ハーテム氏(カイロ・アメリカン大学の経営学の教授、日本エジプト友好協会会長)に会って話を聞いた。彼によれば、小池家とハーテム家との結びつきは長年にわたる強いもので、小池氏が1992年に政治家になってからも、勇二郎氏は時々カイロの高級住宅地ザマレクにある父ハーテム氏のもとを訪れていたそうである。

 2011年のエジプト革命の際には、百合子氏が父ハーテム氏に電話をかけてきて、同年、リビア訪問の際にスケジュールを調整してカイロに立ち寄ったと言う。ターリク氏自身、勇二郎氏が2013年に亡くなる直前に彼に会い、2015年に父ハーテム氏が死去したときは百合子氏に日本エジプト友好協会を続けるよう勧められ、2017年には日本の百合子氏の家を訪問したという。

 ハーテム氏と小池百合子氏はそれくらい親密な関係にあった。そして小池氏のエジプト留学時代、すでにハーテム氏は国内で絶大な権力を持っていた。国立大学の”不正卒業証書”がまかり通るエジプトでのことだ。その気になれば、入学資格のない異国の留学生を、一流国立大学の学部生に押し込んだり、“卒業証書”を与えることなど造作もないことだったに違いない。

(続く)