矛盾する日付

 昭和51年10月22日付の「東京新聞」の小池氏の写真付きインタビュー記事では「この9月、日本人女性として初めてエジプトのカイロ大学文学部社会学科を卒業し、10月中旬に帰国したばかり」と書かれているが、小池氏が卒業証書だとしている文書には「1976年10月の(筆者注・小池氏が受けた)試験の結果にもとづき、大学の委員会は同年12月29日に小池氏に文学士の学位を与えることを決定した」と書かれている。仮にこの“卒業証書”が本物であったとしても、「東京新聞」のインタビューの時点では卒業は決まっておらず、9月に卒業したというのもまったくの嘘である。

東京新聞(1976年10月27日付)掲載の小池氏のインタビュー記事
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 同じ月の数日前に掲載された「サンケイ新聞」のインタビューでは、「卒業式を終え、10月11日、日本へ帰ってきた」と書かれているが、卒業証書の記述等に照らすと、これも嘘ということになる。

サンケイ新聞(1976年10月22日付)に掲載された小池氏を紹介する記事
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 そもそも10月の試験(追試)を受けていること自体疑問である。当時、エジプトから日本へのフライトはほぼ丸1日かかり、前後の移動時間や出国手続き、日本との7時間の時差も考慮すれば、10月11日に日本に着くためには、10月9日くらいにカイロを出発していなくてはならない。ならば追試を受けたのはだいたい10月8日以前でなくてはならない。本当に卒業がかかった追試であるなら、死に物狂いで猛勉強をしているはずだが、『虚飾の履歴書」』には、そのような記述は一切なく、小池氏が日本航空カイロ支店でアルバイトをしていたことや、日本に一時帰国するための費用をかき集めるために駆けずり回っていたことだけが書かれている。

 なぜ小池氏はこれほど多くの嘘をついたり、事実と異なる話をしてきたのだろうか? 本当にカイロ大学を首席で卒業したというのなら、単純に事実を述べればそれで済むはずだ。

(続く)