道具は語る、中華の合理主義とフレンチの形式主義

『キッチンの歴史』で「なぜそれを使うのか」を探る

2019.12.20(Fri)漆原 次郎

テクノロジーの価値は使われるかどうか

料理道具の“新参者”、電子レンジは将来、世界の万人に受け入れられるだろうか。

「刀」と「箸」のように、はじめから利便性の高かった料理道具は、その後の変化も少ない。だが、たいていの料理道具は、時代ごとに進歩あるいは進化を遂げていく。

 たとえば、英国において、肉を回転させながら火にあぶる「ロースト」の手法は、「少年が焼き串を回す」「車輪に閉じ込められた犬やガチョウなどが回る」「ネジ巻き式の機械で回す」「火の熱で暖められた空気の上昇を利用して回す」といった具合に変遷していったという。

 こうした一歩ずつ進歩していく料理道具は、多くの人に受容されやすい。その進歩は、著者のいう「特定の料理方法への愛着」の範囲内にとどまるからだ。

 だが、一方で、突然のごとく社会に出現する料理道具には、多くの人々が「抵抗する」。たとえば、火でなく、マイクロ波による分子振動で食材を温める「電子レンジ」は「社会を変えてしまう威力をもつ」装置であると激しく非難する歴史学者もいるという。著者も、電子レンジにはあまり前向きになれないようだ。

 その地域の文化の中で誕生し、少しずつ発展していったものに比べて、あまりにも唐突すぎる料理道具を、人びとは「得体の知れないもの」として避けようとするものかもしれない。たとえ、同じ「温める」などの目的を満たすとしても。

 とはいえ、著者も「テクノロジーの価値は使われるかどうかにかかっている」と認めるように、その新参の料理道具が便利なものであれば、やはり受容されていくのだろう。100年や200年といった時間尺でみれば、その料理道具も食文化に貢献しているはずだ。

多様な料理道具に触れられる日本人

 和食、洋食、中華、エスニック。日本人は、どんな文化圏で生まれた食も積極的に楽しもうとする。これは、さまざまな世界の料理道具に接する機会を多く持っていることを意味する。朝食は炊飯器でご飯を炊いて箸で食べ、昼食は鍋でパスタを茹でてフォークで食べ、夕食は中華鍋で麻婆豆腐を作ってレンゲで食べたりする。

 それぞれの料理道具に、それぞれの歴史あり。それを思いながら食べる料理の味はまた格別なものとなろう。

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