今回の騒動は、オリンピックのあり方そのものに対する大きな疑問を投げかけた。オリンピックの華であるマラソンが札幌で開催されるのに、「東京大会」と言えるのかというのが、まずは多くの国民の疑問である。

 先述したように、私もいくつかの競技会場を都外に移転したが、それは経費を削減することが大きな目的であった。開催都市に立候補する際に、招致競争に勝たんがために、美辞麗句を並べ立てたのである。2013年、猪瀬都政下で作成された立候補ファイルでは、新たに作る恒久施設などの整備費用は1538億円と見積もられていたが、実際はその3倍が必要だった。そのために、財政上の理由から森会長と共に競技会場の見直しをしたのである。

 招致のときは猪瀬都知事であるが、会場が20分以内にまとまり、コンパクトで安価にできるとうたい、知事は銀行にキャッシュがうなっていると財政的豊かさまで強調した。しかし、そのような見積もりは杜撰であり、ほぼ同時期に組織委員会会長と都知事に就任した森喜朗元総理と私は愕然としたが、二人で協力した経費削減を断行したのである。

 東京オリンピック開催で得られる経済的利益は約30兆円と見積もられており、それは魅力的な数字である。しかし、この数字の通りになるか否かは不明だし、1964年の東京五輪のように戦後復興、経済再建が目的の発展途上国型五輪ではないはずである。あまりにも開催費用がかかるので、貧しい国は開催地に立候補することは不可能であり、先進国でも立候補する都市は激減している。そのために、IOCは、2024年にパリ、2028年にロサンゼルス開催を同時に決めたのである。莫大な費用をかけ、データを操作し、場合によっては「嘘」までついて立候補することに疑問が呈されているのである。

 2013年の立候補ファイルでは、東京の夏について、「天候は晴れる日が多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」とあるが、熱中症のリスクが高く外出さえ控えるように気象庁が注意をする実態とはあまりにもかけ離れている。

 いったん東京に決まった以上は、後を託された都知事としての私は全力を上げるしかなかった。だが、その作業の途中で職を辞することになったのであるが、小池都知事は森会長や私が努力して積み上げてきたものを、政治目的のパフォーマンスで滅茶苦茶にしてしまった。

「商業主義」五輪はもう時代にそぐわない

 IOCの今回の札幌変更決定は、オリンピックそのもののあり方や存在意義を問うている。

 まずは経費がかかりすぎて、裕福な先進都市であっても、住民の反対などで立候補を取り下げる都市が続出している。2024年大会の誘致では、ハンブルク、ローマ、ブダペストがそうである。そこで、パリ、ロサンゼルスという異例の二都市同時決定となったのである。

 IOCの財源の8割は放映権料である。それが、真夏の開催の原因なのである。バスケットボールなど視聴率がとれるスポーツが夏休みのときの穴埋めに五輪が使われている。春や秋のような季候の良いときには、花形スポーツの番組が目白押しであるため、五輪などお呼びでないのである。

 IOCが商業主義に踏み切ったのは、1984年のロサンゼルス五輪からであるが、35年後の今、その弊害のほうが大きくなっているように思う。運営のあり方を根本的に見直すべきときが来ている。