その経験を通じて、五輪は政治そのものであり、政治力を発揮しないかぎり、難局は乗り切れないことを確信したのである。何よりも、IOCや組織委や国との連携を日頃から強化しておく必要がある。30日の会議で、「互いの信頼関係なくして、大会の成功はない」と小池都知事は述べたが、その信頼関係を壊してきたのが当の彼女であり、それが今回、一人だけ蚊帳の外に置かれた理由である。

 しかも、そのことに立腹して北方領土での開催に言及するなど、まさに言語道断である。開催地のトップが、五輪に政治を絡めるのは厳禁である。首相や元首相といかに不仲でも、スポーツの話にプーチン大統領や北方領土を持ち出すべきではない。IOCや国や組織委とのこれまでの自らの対話不足こそを反省すべきなのである。

 9月27日から10月6日までドーハで世界陸上が行われたが、高温多湿な気候のため、女子マラソンでは、68人の選手のうち、28人が途中棄権した。また、男子50km競歩でも約4割が棄権した。

 選手たちは、気温30度、湿度75%以上という過酷な状況を「地獄」と表現した。ある50km競歩の選手は「モルモットのように実験に使われた。来るべきでなかった」と後悔し、「死なないためには棄権しかなかった」と言った。男女ともマラソンは、真夜中に出発したが、棄権者数で記録を更新した。

 私は、9月30日に、「東京はドーハより酷い。万全な対策を!」とツイートしたが、バタバタと倒れ、救急車で運ばれていく選手の映像が世界中に流れ、国際陸連もIOCも危機感を持ったのである。同じ気候条件の東京の夏では、「ドーハの悪夢」が再現され、それはオリンピックのイメージ低下につながってしまう。この危機感が、今回の札幌移転開催決定を後押ししたのである。

立候補ファイルでは「東京の夏は理想的な気候」と説明

 スポーツを通じて世界平和を希求するオリンピックの意義は大きい。

 ナチス政権下で行われた1936年のベルリン・オリンピックをヒトラーは政治宣伝に使ったが、この期間中はユダヤ人への迫害を止めたのみならず、ドイツ選手団にユダヤ人選手を入れることすらした。それは、アメリカなどからボイコットされることを恐れたからである。

 反ユダヤ主義のポスターなども全国で撤去させ、人種差別のないドイツを強調したのである。聖火リレーや記録映画制作も、実はナチスの発明であった。

 戦後になって、1979年12月にソ連軍がアフガニスタンに侵攻したため、1980年のモスクワ・オリンピックは、アメリカ、日本などがボイコットした。選手の意向とは関係なく、オリンピックもまた政治に翻弄されることを認識させられる出来事であった。

 都知事時代には、2020年東京大会の準備に忙殺されたが、その際に「五輪は政治である」ということを何度も思い知らされた。IOCや国や組織委員会との調整、膨れ上がった経費の削減、新国立競技場建設プランの見直しなど、多数の関係者の合意を得るのに苦労した。それは都政の半分くらいの重みを持っており、利害関係者の政治的、経済的介入もあり、日々の対応に追われたものである。

 石坂友司は、『現代オリンピックの発展と危機 1940-2020』(人文書院、2018年)という本の中で、幻に終わった1940年の東京五輪と2020年との類似性を指摘している。

 それは、第一に理念の不明さ、第二に組織的混乱である。都知事として、私なりにそれを克服する努力をしてきた。第一点については、2012年ロンドン大会以来とり上げられてきた「レガシー」概念を活用し、どのような遺産を後世に残せるかを考えた。第二点については、森会長、担当大臣との個人的関係も使って、前に進めたが、残念ながら小池知事になってまた逆行し、それが今回の突然の札幌変更決定となったのである。