雪のすだれをくぐって進め、三陸の漁業者たち

漁港、魚市場の大被害はチャンスに変えられる

2011.04.08(Fri)高成田 享

 もともと産地の魚市場は、漁師が獲ってきた魚を水揚げし、それを「競り(せり)」で買った仲買や小売がリヤカーを引きながら町場で売ったものだ。そこに水産加工業が発達したため、沖合底引き網漁や巻き網漁のような形で大量に漁獲することができるようになった。

 今回の津波は、「鮮魚」と「加工」という産地の両輪の1つである加工をへし折ってしまったが、魚市場の原点に戻り「鮮魚から」というのは、これまでの魚の流通の仕組みを変えるチャンスでもある。

 津波で地元の鮮魚および加工の需要を大幅に減らす仲買人は、東京のような大都市への「産直」を考えなければならなくなったからだ。

 「東北の魚」を自分たちの手で売る方法を真剣に模索すれば、大手流通に価格決定権を牛耳られていた現状を改善することにもつながるだろう。

手厚い補償が可能にする「減船」

 漁業についても、今回の津波で不幸にも船を失った漁業者に対して国が手厚い補償をすれば、新たに漁船を買うことをせずに廃業する漁業者も多く出てくるだろう。これは、実は日本の漁業にとってプラスに働く面もある。

 日本の漁業を展望すると、沿岸や近海の漁業資源に対して漁業者の数が多く、魚種によっては「漁獲圧力」が高いものが少なくなかった。

 こういう状態では、世界を見ても減船がもっとも有効な手立てなのだが、公的な減船補償が難しいため、残った人たちが残存者利益を想定して「とも補償」することを求められてきた。しかし、資源が不十分な中では残存者利益は期待できないことから、こうした減船はほとんど行われてこなかった。

 震災による公的な補償が実現すれば、事実上の公的資金による減船だから、資源的に見れば漁獲圧力を下げることになる。

被災を乗り越えて水産界の改革を

 産直の拡大と事実上の減船補償。津波の大波で真っ暗になった水産界だが、この2つが動き出せば、ぼんやりながらも光明になるかもしれない。この光のもとで、水産界の改革が始まれば、その姿は単なる復興ではなく、未来に向かう再生につながるだろう。

 漁船に乗ると歌いたくなる鳥羽一郎の「兄弟船」は、すだれのように降り注ぐ雪の中を、父親から受け継いだ熱い血でくぐって進む漁師の心意気をうたっている。

 とてつもない津波被害を乗り越えて進むのは、まさに雪のすだれをくぐって進むような熱い血が必要だろう。三陸の漁業者に、まだこの熱い血は残っている、そう私は信じている。

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