翌日、二人の形勢は逆転。火が点いてタガが外れたようになってしまった賢治に対し、一晩、置いて、すっきりした直子は「一晩だけって言ったでしょ」と冷たく突き放す。過去に戻ってみたら帰り道を見失ってしまった賢治をそのままにして、10日後に結婚を控えた直子は既に前を向こうとしていた。賢治とのことは結婚前の禊、過去への決別の一作業だったのか。やはり、女性は未来を見据えて生きる生き物なのか。

 食い下がる賢治にほだされ、直子は仕方なく婚約者が出張から戻るまでの間の5日間だけと期限を切って、二人は再び20代の恋人時代のように情熱的な日々を送ることになる。

©2019「火口のふたり」製作委員会

結婚相手とは違う「昔の恋人」の心地よさ

 震災で多くの人の命が失われたことを目の当たりにし、子供を産みたくなったという直子。一人娘の彼女は亡くなった母親の子孫を残したいから結婚を決心したらしい。そんなの、直子らしくないと否定的な賢治。彼の眼に映っているのは20歳の直子のままなのだろう。彼女と再会したことで、当時の気持ち、記憶、感覚すべてが思い起こされる。まさしく保存していたファイルが開かれた状態だ。そのファイルには30歳を過ぎた彼女のことは記されていない。現在の彼女の心境を彼は知る由もないのだ。

 だからこそ、最初、賢治が必死で抵抗していたのもよくわかる。現在の自分は疲れ果てた中年男。直子が夢中で追いかけていた夢も希望もある20代の頃の自分ではない。賢治から見れば、直子は昔のままで、そんなまぶしい存在にいま現在の自分を認められたくないような気持ちもあったのではないか。

 もちろん、新婚生活のための新居に用意された真新しいベッドや布団に怖気づいたこともあるのかもしれない。そんな賢治に「私の勝手でしょ」と直子は肝が据わっている。