この一件、インドネシアの人々は非常に深い憂慮を抱いて眺めている。インドネシアで共産主義の影がチラつき出し、それにイスラム教団体が過敏に反応するという構図は、かつて繰り広げられた共産党関係者の「大虐殺」を想起せざるを得ないからだ。

インドネシアでの共産主義の歴史的背景

 ここでインドネシアの共産党の歴史について説明しておこう。

 インドネシアでは1941年の日本軍による占領以前のオランダ植民地時代に、共産党が東南アジアで最も早く合法的に結党されている。その後太平洋戦争中は地下組織となるも、終戦、そして独立を宣言した後の1945年10月に再建された。

 初代スカルノ大統領時代に合法政党として支持を拡大したが、影響力増大を危惧する軍部や自由主義陣営から危険視されるに至った。

 そうした中、1965年9月30日から10月1日にかけて一部軍人によるクーデターが発生し、軍高官らが殺害されるいわゆる「930事件」(9月30日事件)が起きた。クーデター自体は未遂に終わったが、共産主義者と一部軍部との関係が指摘され、共産党関係者、シンパなどが全国的に殺害される事態に発展。追い込まれたスカルノは大統領を辞任し、陸軍大臣として共産党解体の指揮を執っていたスハルトに大統領権限を委譲せざるを得なくなった。以来、インドネシアでは共産党は非合法化され、共産主義にまつわる書籍、文書、さらに共産主義や共産党の象徴である「鎌と槌」のシンボルもタブーとなっている。

 現在でも歴史を知らない若者が共産党のマークがプリントされたTシャツなどを着用していたり、外国人観光客がそうしたマークを身に着けていたために、群衆に暴行されたり糾弾されたりする事件がマスコミに取り上げられることがある。

 1998年に崩壊するスハルト長期独裁政権時代は日本や中国からの共産党ないし共産主義に関連する書籍や文書の持ち込み、所持は厳しく検査されていた。

スハルト元インドネシア大統領、容体やや持ち直す

インドネシアの首都ジャカルタで、警備隊らにあいさつするスハルト大統領(当時)(1998年5月22日撮影)。(c)AFP/AGUS LOLONG〔AFPBB News