資料館には不発弾で手足を失ったラオス人の生活を支えるために使われた夥しい数の各種義手や義足も展示され、クラスター爆弾の不発弾や地雷などの被害の恐ろしさを伝えている。

 無造作に展示されている義手の数々、並ぶように整然と展示されている義足の列、そして天井から吊り下げられた義足、あるいは雑然と積み上げられた義足のオブジェの圧倒的な存在感は、見るものの胸に迫ってくる。

展示されている無数の義足(筆者撮影)

不発弾被害者の支援活動

 ラオス政府機関などによると、不発弾による犠牲者はベトナム戦争終結後に約2万人とされ、その後年々減少し2008年は302人に2013年は50人以下となっているというが、不発弾が残る限り犠牲者の根絶は難しいのが現状だ。

「コープ・ビジターセンター」には外国人観光客も多く訪れ、ラオス人スタッフの英語での説明を聞き、用意された約20分の記録映像を鑑賞してから資料館内を巡る。

 併設された売店には不発弾の被害者となった人たちが製作した民芸品やTシャツなどの土産ものが販売されており、売り上げは不発弾被害者の救済に当てられているという。

 資料館の隣には「車椅子工房」があり、手動で前後に動かすことができる特殊な車いすが製作されている。

 この工房は2000年から日本の特定非営利活動法人「難民を助ける会」が支援活動を行い、年間約500台を製作してきたが、2011年5月末に現地の「ラオス国立リハビリテーションセンター」に運営、製作が全面移管され、現在はラオス人の手で車椅子製造が続けられている。ここで製作された車椅子が下肢を失った被害者にとってどれだけ行動範囲を広げるなど生活に役立っているか、日本人として学ぶことの多い施設でもある。

日本の自衛隊OBも活躍

 ラオスでは北部シェンクワン県を中心に日本の認定特定非営利活動法人「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」による不発弾処理支援活動も続いている。

 陸上自衛隊の爆発物専門家などが退官後に現地に赴き、現役時代に身に付けた不発弾処理の能力を生かしてラオスの不発弾処理を行っているJMASでは2019年も1月に39発、2月に68発、3月に162発、4月に92発、5月に139発のクラスター爆弾子爆弾を探知発見し、集積して爆破処理を行い、土地の安全化を図っている。

 こうした処理支援のほかに現地の「ラオス国家不発弾処理プログラム(UXO Lao)」に参加しているラオス人隊員への不発弾処理の専門教育も行うなど、ラオス人自身の手でも不発弾処理が行える支援も実施している。

 このようにラオスの不発弾問題には日本も深く関わっている。日本からの直行便がなく、訪れにくい国ではあるが、日本とラオスとの関わりは深い。ラオスを訪れる機会があったなら、こうした施設を訪れることが、ラオスの置かれた厳しい現実と日本の地道な支援活動を知る貴重な機会となるだろう。