カミさんは本当に明るい人で「6畳あれば大丈夫。3人で楽しく川の字で寝られるわ」と言ってくれた。

 でも、娘が泣いたんです。その当時は大きな家に住んでいたので、そんな狭い部屋は嫌だって。あの家族との会議は忘れられません。それで、しばらくは独立を口にしなくなりました。

 そうこうしているうちに、ある時、外食産業向けの人材支援サービスなどを手がけていたリンク・ワンという会社を紹介されました。周囲から、もし独立を考えているなら、スポンサーが必要だよ、って。

 リンク・ワンという会社はプロの店長を育成する事業をやっていて、それは面白いなと思った。僕はグローバルダイニングでやってきたことの焼き直しではないHUGEという全く違う会社を作りたいと売り込んだ。

 実は僕はしょせん仙台の食堂のせがれなんです。父親の経営するその店で、子供の頃から料理長、副料理長と川の字で寝て過ごした人間だから、従業員はやっぱり家族なんですね。

 それが甘いとよく言われました。しかし、人間はやはり、自分の原体験に基づく思考回路は変えられないじゃないですか。

 だから、人が辞めない会社を作りたい。街の資産になるような店、長く商売できるお店、組織を作りたいと思ったんです。

プロ集団のお店をつくる

 良いお店を作って、そこでOJTをやりながらサービス、調理を人に教えられる。それをリンク・ワンのプロ店長事業の質を高めるために使いませんか、と口説きました。

 そういう子会社をリンク・ワンに作ってもらおうとした。

 お互いウィン・ウィンの関係だと思ったし実際話も順調に進んで、そこで握手してグローバルダイニングを離れることになったんです。それが2004年のある日のことでした。

つづく=5日間連続でお届けします。