グローバルダイニングからの独立

 では、僕が独立した経緯からお話します。

 一つには、やはり年齢がありました。ちょうど40歳になった時に、グローバルダイニングで同僚だった中村文裕さんが起業したんです。

 ADエモーションという会社を立ち上げ、恵比寿にレストランをオープンした。

 すると思うわけです、「え、俺はどうする?」って。40の大台に乗る節目の年に同期の独立というのは、やはり自分の将来を考えさせられました。

六畳一間からやり直せるか

HUGEを創業した新川義弘さん

 ただ、独立はそう簡単には決められなかった。当時お給料もたくさんもらっていたし、子供もできていましたから。1年半くらい悩みました。

 でも、22年間勤めてきて、いろいろなことを学び、独立する準備はできてはいました。そして、今やらないと自分の思うようなレストラン経営ができるタイミングは二度とやって来ないのではないかと思ったのです。

 すでに娘は4歳になっていたと思いますが、思い切ってカミさんに独立の話を切り出したんです。

 こうしたとき、人間という動物はなぜかサイズを考えるんですね。

 僕は地元の仙台から東京に出てきて調理師学校に入り、ある人(男)と2人で1年半、6畳1間に住んだ。これが僕の我慢できる大きさの限界でした。

 そこで、カミさんに家族3人で6畳からやれるか、月6万円の家賃のワンルームからスタートできるか、って聞いた。