金融審議会の報告書の受け取りを拒否した麻生太郎財務相兼金融担当相。写真は、6月7日に開催されたG20「高齢化と金融包摂」ハイレベル シンポジウムに出席した際のもの(写真:つのだよしお/アフロ)

(舛添 要一:国際政治学者)

 金融庁の金融審議会が公表した報告書、「高齢社会における資産形成・管理」が大きな政治問題となっている。この報告書は認知症の増加なども含めた高齢化社会の問題点を指摘し、必要な資産を投資などによって確保すべきことを主張したものである。金融庁のワーキンググループらしい提案であるが、報告書は、夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦は、年金だけだと毎月約5万円の赤字で、死ぬまでに1300万円〜2000万円が不足すると記されている。

 このような事実は、何年も前から指摘されていたことであり、何ら目新しい発見ではない。ところが、参議院選を前にして、野党はこれを争点化しようと目論んで、批判の大合唱を始め、これにメディアも追随して「炎上」状態になってしまった。

日本人は年金問題を自分の頭で考えていない

 6月10日の参議院決算委員会でも、政府は防戦に努め、結局、翌11日に、麻生財務相は、この報告者を公式のものでないとして受け取りを拒否した。自らが諮問した内容を記した報告書を受け取らないというのは前代未聞であるが、12年前の年金記録問題、いわゆる「消えた年金」の悪夢が脳裏を横切ったのであろう。

 年金は老後の命綱であり、それだけに皆の関心をひき、容易に政治争点化するのである。しかし、実は、日本人は年金問題について常日頃から自分の頭で考えることをしない。驚くべきことだが、厚労大臣として年金記録問題に対応して、そのことを実感させられたのである。

 年金記録にミスが生じたのには、記録管理システムが紙台帳から紙テープ、磁気テープ、オンライン化と変遷してきたことなど様々な理由がある。そして、基本的には社保庁の杜撰な対応が原因であるが、その背景には国民の無関心があった。現役の若いサラリーマンに30年後、35年後のことを考えろと言っても無理かもしれないが、そのような国民の姿勢が社会保険庁のいい加減な手抜き作業を許してきたのである。

 しかも、日本国民は政府が無謬だと信じている。したがって、政府に任せておけば大丈夫だという「お上(おかみ)信仰」が強すぎて、その信仰の対象である政府・官僚機構を批判しない。

 私は、自民党が惨敗した12年前の参院選の後に、厚労大臣として年金記録問題の対応に当たったが、国民一人ひとりに自分の年金をチェックする習慣をつけてもらうために、「ねんきん定期便」を各人に誕生日に送る制度を作った。年に一度くらいは自分の将来がかかる年金のことをチェックしてもらおうという試みであった。しかし、そこまでしても届いた定期便を開封もしない人もいて呆れたものである。