転勤の無い企業でも社員に滅私奉公を要求することは何ら珍しくも無い。つまり「日本の企業は多かれ少なかれカネカ的である」ことは紛れもない事実だ。

 そして転勤の拒否は解雇の理由にもなりうる。通常、解雇四要件といって解雇をする際は強い制約が加わり実質的に倒産寸前にでもならない限り解雇はできない。企業が行うリストラはあくまで退職者の募集、自主的な退職という体裁を取る。その実態が退職の勧奨であってもだ。しかしその一方で転勤の拒否で解雇可能というのはあまりにアンバランスに見える。なぜそんな仕組みになっているのか。

 もはや珍しくなくなったリストラ部屋や、外資系企業で話題となった自主的な退職に追い詰める退職マニュアル、そして社員をうつ病に追い込んで辞めるように仕向けろとブログに書いたブラック社労士など、解雇ができないことで自主的な退職に追い込むやり口はいくつもある。

 問題社員はうつ病にして辞めさせればいい、とブログに書いたブラック社労士は特に大きな話題となった。ブログの内容は「敬語を使えない問題社員を辞めさせるにはどうしたらいいか?」という内容で、就業規則の変更、指導の繰り返し、注意や処分内容を書面にして渡すなど、うつ病になるように仕向けろという部分を除けば様々な手順を踏むように書いてある。

 これは後から社員に解雇無効で訴えられないために必要な手順だ。「問題行動を起こして改善の余地がまったく無い社員をクビにするにはどうしたらいいか?」と真っ当な弁護士や社労士に相談しても同じアドバイスをするだろう。ここまでやらないと解雇をしても裁判になれば不当解雇で負けてしまう。

解雇以外の雇用調整が働きにくさを助長する

「ブラック社労士とカネカが一体何の関係があるんだ?」と思ったかもしれないが、解雇ができない状況で、それでもなお雇用調整をするために仕方なく転勤が行われている。それがもっと酷くなれば無理やり、なおかつ表面上は合法的に追い出すためにリストラ部屋やブラック社労士になる。これらは無関係の話ではなく、それどころか密接に関係のある地続きの話だ。つまりいずれも雇用に関する構造的な問題と言える。

 カネカが「けじめ」という攻撃的な言葉を使ったように「会社の命令に従わない人は辞めてくれて結構、場合によっては解雇もいとわない、なぜなら解雇をしない代わりにそれ以外の無理は受け入れる約束で雇用は成り立っている、ワガママは許さない」というのがカネカ側のスタンスで、これも多くの企業にとっては説明するまでも無い常識となっている。そして転勤の拒否が解雇の理由になりうるように、一定程度の法的根拠もある。

 現在では女性が産休・育休・時短勤務を取得することは以前と比べてかなり容易になったが、なぜ昔は出産をきっかけに退職することが当たり前だったのか。それは社員が一時的に休んで復帰したり、時短で既定の勤務時間すら働けなくなったりする状況は企業の労務管理上、極めて面倒臭いからだ。

 解雇ができないから残業時間で雇用調整を行うほか無い。忙しい時は長時間の残業、平常時は残業が少ない、不況の時は定時で帰るといった形ならば、不況になってもギリギリまで解雇をしないで済む。そして東京で人が余って大阪で人が足りなければ、転勤で調整すれば解雇を避けられる。