結局、「解雇は無いけど働きにくい社会」と「解雇はあるけど働きやすい社会」、どっちが良いですか? という選択になる。解雇の有無と働きやすさは両立ができないトレードオフの関係だ。残念ながら「働きやすくて解雇の無い社会」は、経済や企業経営のリスクの大きさを考えれば、トヨタのように大儲けしている超大企業ですら無理ということだ。

日本はいまだに戦時体制

 終身雇用や社員を家族のように扱う日本型経営は日本の伝統である、というトンチンカンな言説を時おり目にするが、これは近代になってから人為的に作られたものだ。その土台には判例と法律が存在している。

 一つは判例で、解雇を極めて難しくしている「解雇四要件」、そしてもう一つが「1940年体制」と呼ばれるものだ。

 経済学者として有名な野口悠紀雄氏は著書『1940年体制 さらば戦時経済』(東洋経済新報社)において、日本の近代・現代の経済体制は戦時中に作られ、それが現在も継続していると指摘する。あらゆる資源・リソースを戦争へ注ぎ込むため1938年に作られた「国家総動員法」が、その目的を戦争から経済成長へと変えて継続しているという。

 これは戦前と戦後で大きな分断がある、敗戦をきっかけに日本は違う国へ生まれ変わった、という従来の常識とまったく異なる説明だ。

戦時中に出来上がった日本の経済システム

 本書では企業、金融、土地改革、官僚制度とあらゆる分野で1940年体制が影響を残しており、現在と戦中は地続きであると説く。

 企業や雇用に話題を限定すると、日本人は貯蓄率が高く、株による資金調達の直接金融よりも銀行の融資による間接金融が主流であるという状況も、戦前はそうではなかったという。直接金融から間接金融に変化した理由は、株主への配当が企業の内部留保を阻害し生産力の増強を阻害しているため、国家総動員法で配当に制限が加わり、株主の権利も制限された。そして貯蓄が奨励されて軍需産業へ資金を傾斜配分することで戦時体制をより強化した。

 その結果起きたことは、企業本来の姿である「株主のための企業経営」から「従業員の共同体としての企業経営」への変化、俗論として言われる日本型経営の誕生だ。日本の伝統は大昔から続くものではなく戦中に作られたことが分かる。

 そもそも戦前の従業員は一部を除いて月給ではなく日給で働く工員が多数派だった。短期間で職場を転々とすることが当たり前で、それが経済へ悪影響を与えていた。これを改善するために長期雇用、月給制、年功的賃金に変えることで安定を図った。これが職能や生産性、つまり能力に応じた賃金体制から、勤続年数を重視した生活給的なものへと変質をもたらしたという。多くの企業が終身雇用へ舵を切った瞬間だ。

 そしてなんと、1939年には初任給が公定されることになる。これは現在も多くの企業で初任給がほとんど変わらない状況として残っている。さらには賃上げも建前として抑制され、例外として認められたのが従業員一律の賃上げ、つまり定期昇給だ。

 素晴らしい制度変更だと思う人もいるかもしれないが、これらは従業員のために行われたわけではなく、お金を持っている株主だろうと優秀な従業員であろうと抜け駆けして儲けることを許さず、すべてのリソースを戦争へと配分するための仕組みだ。

 最近の話題として、ファーウェイは新卒で月給40万円とか、グーグルは新卒で年収1800万円など日本人の感覚では腰を抜かしそうな話をたびたび聞くが、給料は本来能力や成果に応じて払われると考えれば年齢や勤続年数で決まる方が異常だ。

 欧米は狩猟民族で競争が好き、日本人は農耕民族で和を重視するといった俗説を企業経営や働き方にあてはめる考え方も、日本は世界初の米の先物取引が江戸時代に成立しており、俗説とは真逆で極めて市場原理主義的な民族であるともいえる。

カネカ問題は日本の問題である

 これ以上は実際に同書を読んで頂ければと思うが、日本の高度経済成長期を支えた戦時体制は、一方でその後の平成に訪れた景気低迷の原因にもなっていると野口氏は指摘する。

「終身雇用は日本の伝統」という間違った言説については、良い仕組みだから変えない方が良いという意味に加えて、伝統に基づいているから変えられないというあきらめ、二つの意味を含んでいる。

 しかし終身雇用は長時間労働、転勤、女性(例外)の排除と、多数の問題をはらんでいる。今さら後生大事に抱えて守るようなものではない。大きなデメリットがありながら終身雇用が戦後定着した理由は、高度経済成長という成功体験のみならず、五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造が「武士道」で書いたように、我慢・忍耐を美徳とする日本人の伝統と偶然結びついたことが原因なのか、一時的とは言え根付いてしまっている。

 しかし現在、1940年体制はメリットよりもデメリットの方が大きく誰も得をしていない。長時間労働、転勤、女性排除と、一体何のために続けているのか、どんなメリットがあるのか、誰もまともに答えられない。

 野口氏は日本の経済体制はあくまで戦時体制がベースにあり、決して日本古来の伝統に基づくものではなく、人為的に近代になって作ったものなら自ら変えることができると指摘している。

 冒頭に書いた通り、カネカのやり方や制度が良いか悪いかという話はカネカの従業員とその家族以外にはほとんど関係の無い話だ。カネカを酷いと批判するより、なぜこのような問題が日本企業では当たり前のように起きているのか? という部分こそが最も重要な論点である。